- ラジウム療法
- 初期のラジウム治療
- 小線源治療
- ラドンの応用
- 遠隔大量照射法(ラジウムボム)
- 原著論文
- 1901 初のラジウム治療成功例
- 1908 Dominici管の発明
- 関連文献
- 1924 発見から治療応用に至る初期のラジウム史概観
- 関連事項
- ラジウムの供給と価格
- 小線源治療の発展
- ・小線源の配列法
- ・アフターローディング法
- ・ラジウム治療の終焉
- 原著論文
- 1956 アフターローディング法
ラジウム療法
初期のラジウム治療
放射性同位元素の医学応用は,診断領域に先駆けてラジウム治療に始まった.ラジウムによる皮膚障害の報告は,1900年,ドイツのFriedrich Walkhoffによる記載が初例と思われるが,これはラジウムの写真効果を述べた論文の最後にわずか3行「上肢を20分間,2回照射したところ,2週間たった今もX線照射の場合と同じような皮膚の炎症が認められた」 との記載をみるのみである[2].これを知ったFriedrich Gieselは同年,0.27gのラジウム入りカプセルを自らの前腕に2時間貼付し,2-3週後に色素沈着を伴う強い炎症,その後上皮剥離を認めたことを報告している[3].
1901年,Henri Becquerelは,ラジウムのビンをジャケットの胸ポケットに入れて2週間持ち歩いたところ皮膚に強い炎症が発生したが,これがかなり重症で,パリのSt. Louis病院の皮膚科医Ernest Besnierの診察を仰いだ.BesnierはこれがX線の皮膚反応に似ていることから治療に使えると考え,Curieに同僚の内科医Henri Danlos*にラジウムを提供するよう依頼した.Danlosはこのラジウムを紅斑性狼瘡の患者に試み,これがラジウム治療の初成功例となった[→原著論文].この前年,1900年にアメリカでは,Francis Williamが蚕食性潰瘍と狼瘡にラジウム治療を試みたが,線量不足のため不成功におわっている.その後Williamは新たな線源を調達し,1904年にあらためて50例の治療成績を報告している[4]
* Henri-Alexandre Danlos(1844-1912).フランスの内科医,皮膚科医.Ehlers-Danlos症侯群にも名前が残る.
小線源治療
初期のラジウム治療はほとんどが皮膚疾患に対して行なわれたため,ガラス管にいれたラジウムを直接貼付する方法がとられたが(図1),次第にさまざまなアプリケータが工夫されるようになった(図2).また,1903年には早くも子宮癌の腔内照射[5]が報告されている.組織内照射については,これを提案したのは意外にも電話の発明者であるAlexander Graham Bellであった[6].1905年,これを実際に初めて応用したのはアメリカのAbbéで,Basedow病患者の甲状腺腫に径1/8インチのラジウム管を挿入後24時間留置し,速やかに寛解,治癒したことを報告している[7].
しかし,ラジウムの放射線はα線,β線,γ線を含むため,皮膚障害を含め正常組織障害が問題であった.フランスの医師Henri Dominiciは,ラジウム管の周囲を重金属で覆ってα線,β線をフィルターし,γ線を選択的に照射することによって,正常組織を保護できることを示し,これを超透過性放射線療法(methode du rayonnement ultrapénétrant)と称した.このいわゆるDominici管は,その後の子宮癌腔内照射への道を拓いた[→原著論文].
ラドンの応用
1900年にRutherfordが初めてトリウムから放射性ガスが放出されていることを発見し,トリウム・エマナチオン(Emanation) と命名した.ラジウムについてもラジウム・エマナチオンが発見されたが,その後いずれも稀ガス元素であるラドンの放射性同位体であることが明らかとなった(226Ra→222Rn+α).ラジウムの供給量が少なく高価であった当時,1914年,Stevensonは少量のラジウムがあれば事実上無尽蔵に得られるこのラドンをラジウムの代用として,ガラス毛細管に充填して刺入することを試みた[9].さらに1917年,アメリカの物理学者Duaneは222Rnの半減期が短い(3.8日)ことからこれを刺入したまま放置する方法を考えた[10].これはその後,β線フィルターとして作用する金製の管に入れて使用されていわゆるラドンシードとなり[11],1950年代に198Auグレイン,125Iシードなどが登場するまで広く使用された.
遠隔大量照射法(ラジウムボム)
小線源治療と並行して,ラジウムによる外照射の試みも行なわれた.ラジウムのγ線の実効エネルギーは1.3MeVであることから,200kVが標準的な当時のX線治療 (orthovoltage therapy)に比べれば透過性は高く,深部病変の治療への有用性が期待された.皮膚線量に対して深部線量を相対的に大きくするためには線源をできるだけ離す方が有利であり,線源を10cm以上離す距離照射(distance irradiation)が行なわれた.しかし距離を大きくするほど線量は減少するため,大量のラジウムが必要である.これが可能となったのは1920年以降,ベルギーからラジウムの供給量が増加してからで(→ラジウムの供給と価格),1923年,LysholmがTeleradium を完成して遠隔大量照射法を行った[12] (図3).このような装置はラジウムボム(radium bomb)[13] あるいは(アメリカでは)ラジウムパック(radium pack)と呼ばれ,数g~10gの大量のラジウムを収めた様々な形の装置が開発され,1950年代に遠隔コバルト照射,直線加速器などが登場するまで使用された.
原著論文
【要旨】
紅斑性狼瘡の患者2例に対して,ラジウムを皮膚に貼付することにより治療した.1例目は手指に24~48時間固定して,良い成績を得た.2例目は,顔の左半分にラジウム治療を5回,右半分に光線治療を110回行なって比較した.ラジウム治療側には大きな変化が見られた.結論を出すには時期尚早であるが,ラジウム治療は光線治療にくらべて,強度,簡便性,無害性の面で優れている.
【解説】
Becquerelのラジウム皮膚炎を治療したSaint Louis病院の皮膚科医Besnierの依頼でCurieから提供されたラジウムを使って,同僚のDanlosが治療応用を試みたものである.対象は2例の紅斑性狼瘡(lupus érythémateux)*であった(図4).現在からみると奇異な感じがするが,黎明期のラジウム治療は腫瘍よりも結核,乾癬,慢性湿疹など非腫瘍性の難治性慢性皮膚疾患に多く試みられた.
2例目では光線療法(photothérapie)と比較されているが,この光線療法とはNiels Finsen(1860-1904)が考案したカーボンアーク灯,いわゆるフィンゼン灯による光線治療である.まだ治療中の経過報告で,皮膚病変がどのように変化したのか,肝心な所見の記述がほとんどないが,ラジウム治療が有望であると述べており,この直後から多くの皮膚疾患,さらに腫瘍性疾患のラジウム治療が報告されるようになった.
* 紅斑性狼瘡という診断については,臨床所見の記載がほとんどないことから不詳であるが,現在でいう膠原病の紅斑性狼瘡(SLE)ではなく皮膚結核(尋常性狼瘡)であろうと思われる.
【要旨・解説】 いわゆるDominici管の原理の初報である.当時,ラジウムによる放射線治療は,ラジウムをガラス容器などにいれて直接皮膚に貼付したり,腔内に挿入するのが普通であったが,ラジウムはα線,β線も出すため正常組織の障害,特に皮膚障害が問題であった.フランスの医師Henri Dominiciは,ラジウム管の周囲を鉛などの金属で覆ってα線,β線,さらにγ線の軟線成分を濾過して,透過性の高いγ線成分を選択的に照射することによって,正常組織を保護できることを示した.Dominiciはこのような高度に濾過された放射線をrayons ultra-pénétrants(超透過性放射線)と称している.
前半では,その原理や具体的な照射法が述べられている.硫酸ラジウムなどのラジウム塩を入れたガラス管や布に塗り込んでニスで固めたものを,鉛,銀,金などの金属に封入し,さらに二次線を除去するために紙フィルターを加え,全体をゴムでくるんで使用する(図5).これはその後Dominici管と呼ばれるようになるもので,放射線強度は全体として約1%となるが,そこに含まれるのはわずかなβ線と硬いγ線であるため,皮膚障害を低減できる.照射法は一定しないが,数時間の照射を毎日繰り返したり,数十時間の連続照射が行なわれている.
実際の治療例は,顔面の皮膚癌,陰茎癌,乳癌,子宮癌,リンパ腫などが挙げられている.供覧されている例はいずれも大きな腫瘤を形成する末期癌であるにも関わらず,良く奏効してほとんど完治したように見えるが(図6),いずれも経過観察期間は短く,おそらくその後再発したものと思われる.しかしこの方法は,その後の子宮癌腔内照射を初めとするラジウム小線源療法への道を拓く画期的なものであった.
関連文献
【要旨・解説】
1924年に書かれた総説で,ラジウムの発見から1910年代の治療応用までを概観している.治療応用については後半に述べられている通り,X線と同じような皮膚障害が見られたことをきっかけに治療応用が試みられた.対象疾患のリストをみると,皮膚疾患が多いが,乳癌,子宮癌にも適用されている.また既にこの時期に,現在でいう腔内照射,組織内照射が行なわれ,相応の成績を挙げている.
関連事項
ラジウムの供給と価格
地球上に存在するラジウムは非常に少なく,またその抽出には大きな労力を要するものであった.1898年,Curie夫妻がラジウムを発見したのはボヘミア地方ヨアヒムスタール*のウラン鉱山の廃鉱石であったが,当時はここがほとんど唯一の鉱石供給源であった.Curie夫妻が鉱石数トンから120mgのラジウム抽出に成功した当時の価格は18万ドル/gであった.ちなみに1940年までにJoachimstahlから精製されたラジウムの総量はわずか100gであった.1899年,アメリカのユタ州コロラドにウラン鉱脈が発見された.ここから採掘されるウラン鉱石はカルノー石(carnotite)と呼ばれ,Joachimstahlの鉱石にくらべて低品位ではあったが,1900~26年に200gのラジウムを産出し,1921年のラジウム価格は10万ドル/gとなった.さらに1922年,ベルギー領コンゴにウラン鉱山が発見されると,以後毎年50~100gのラジウムが供給できるようになり,価格は7万ドル/gとなった.1922~40年に供給されたコンゴ産ラジウムは900~1,800gとされ,さらに第二次世界大戦以降は医用需要が減少したこともあって25,000ドル/gまで下落した[14].
* Joachimstahl(現チェコ Jáchymov ヤヒーモフ)は,16世紀以来銀山として栄え,Joachimstahler, 略称Thaler(ターラー)は銀貨の代名詞となり,Dollar(ドル)の語源ともなった.その後,銀は枯渇したが,ウラン,ニッケル,ビスマスなどが採掘された.当時ウランはガラスの黄緑色の着色料として使用されており(ウランガラス),Curie夫妻はウラン抽出後の廃鉱石として積まれていた鉱石をオーストリア政府から譲り受けて実験に使用していた.この地方のウラン鉱労働者に肺癌が多いことも知られており,放射線と発癌の因果関係研究のきっかけともなった.
小線源治療の発展
小線源の配列法
局所治療に適したラジウムの特性を生かし,さまざまなアプリケーターが開発され,腔内照射,組織内照射など小線源治療(brachy-therapy)の適応が広がったが,その線量分布を考える上では,小線源配列法の問題があった.すなわち同じ量のラジウムでも,その配列によって空間線量分布が大きく異なるため,治療にあたってはこれを事前に予測して最適化する必要がある.コンピューターのなかった時代,これはさまざまなパターンに対して実測して求めるほかなかったが,特に英国マンチェスターのHolt Radium Instituteのグループがこれを積極的に研究し,Paterson & Parkerは1934年および1938年に,さまざまな配列による表面および組織内線量分布を明らかにした[17,18](図8)これはマンチェスター法と呼ばれ,標的に1,000Rを照射するのに必要なラジウムの量,照射時間の表(dosage table)から成り,使用する線源量に応じたが配置,照射時間を容易に知ることができる.これによって初めて再現性のある治療計画が可能となった.またマンチェスター法は,レントゲン単位(R)で照射線量を評価した点でも初めてのものであった.この他,アメリカではQuimby法[19],Memorial法[20]なども用いられた.マンチェスター法は特に子宮癌の治療に広く適用され,良い成績をおさめた.
アフターローディング法
ラジウム以外の小線源としては,1948年にMyersが60Co針の使用を報告して以来,1950年には198Au,192Irシード,ワイヤなどが開発されたが,いずれも治療の度に線源を病変部にセットする時間のかかる作業中,術者の被曝が問題であった.1956年以降,事前に体内にセットしたアプリケーター(インサート)に,治療時に線源を挿入するアフターローディング法が開発された.アプリケーターのセット作業中は被曝がないため,事前の綿密な治療計画に沿って十分時間をかけてセットすることができ,必要に応じてやり直すことも可能できる.X線撮影などでアプリケーターの配置が適切であることを確認してから,この中に線源を挿入し,この作業には被曝を伴うが,ごく短時間で行えるので従来にくらべて大幅に低減できた[→原著論文].さらに1960年代には,線源の挿入作業を機械化したリモートアフターローディング法(RALS)が開発され[21],術者は全く被曝することなく治療できるようになった(図9).
ラジウム治療の終焉
ラジウムは,長らく治療用小線源として利用されたが,1950年以降は,原子炉,サイクロトロンによる新しい核種が入手できるようになり,1981年にICRPが放射線防護の観点からラジウムの利用中止勧告を出すにいたってその役割を終えた.現在は125I, 137Cs,192Ir, 198Auなどが小線源として利用されている.
原著論文
【要旨・解説】現在では広く利用されているアフターローディング法の初報である.1956年の論文であるが,この時点で既にラジウムその他の小線源治療はかなり普及していた.しかし,例えばラジウム針の場合,術者が1本1本病変部に刺入していたのでその間の被曝を避けられず,これが大きな問題であった.
ここで紹介している方法は,ステンレス中空針を治療計画に沿って事前に病変に刺入しておき,ここにラジウム線源を充填した「インサート」と称するステンレス管を後から挿入する(図10).
まだ現在のようなリモートアフターローディングではないので,インサートを挿入するところはやはり被曝をさけられないが,ここで紹介している症例では,12本の挿入に要する時間は90秒としている.また,インサートにラジウム線源を充填する作業も被曝があるが,これは鉛ブロック内で行なう.
出典
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