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子宮癌

子宮癌治療の変遷

図1.最初期(1902年頃)の子宮癌治療の試み.外陰部にX線管球を密接させ,膣鏡で開口した膣から頸部に照射した.[1]

図2.腔内照射用の特殊なX線管.下部のガラス管を膣内に挿入して照射した[2]

深部臓器の放射線治療の対象として,子宮癌は初期から最もよく研究された疾患である.最初期は外陰部にX線管球を密接させたり(図1),膣内に挿入できる特殊な形状のX線管球も試みられたが(図2),当時の低出力のX線管球では自ずから限界があった.フランスのラジウム研究所では,Henri Dominiciがラジウムを白金管(いわゆるDominici管)に封入することによってα線,β線を遮蔽してγ線だけを取り出す方法を考案し,1909年,術後不能子宮癌の1/4の例が縮小して手術可能となったとしている[3].

子宮癌の治療については,ちょうど1898年にオーストリアの婦人科医Ernst Wertheimが根治的子宮全摘術を開発し,以後良好な成績を修めていたこともあり,放射線治療の対象は主に手術不能例や再発例であった.しかし1913年,Halleにおけるドイツ婦人科学会で,Bumm, Krönig,Döderleinら婦人科学会の指導的立場にある臨床医が,それぞれ独立に手術治療を上回る放射線治療の成績を発表し[→原著論文],子宮癌治療の流れが大きく変わった.このとき,Wertheimは「自分が心血を注いだ根治手術法が一瞬にして不要になったことは悲しい」と述懐したと伝えられている.

この後,フランスの研究は第一次世界大戦で中断したが,非参戦国のスウェーデンで研究が続けられ,その成果であるいわゆるStockholm法は比較的大量のラジウムを使用する高線量率短時間照射であった[→原著論文].これに対して戦後に研究を再開したフランスが発表されたParis法はRegaudの研究成果を反映して少量のラジウムを使用する低線量率長時間照射であったが[→原著論文],総線量はほぼ同程度で,いずれも良い成績をおさめた.

英国マンチェスターのHolt Radium Instituteのグループが,ラジウム線源の幾何学的配列と線量分布の関係を検討し,1934年にPaterson & Parkerがさまざまな場合の線量分布を発表してManchester法と呼ばれた[4,5].これは主に頭頸部や浅在腫瘍に対するものであったが,1938年にToddらはこれを子宮に適用した[→原著論文].最大の特徴は,腫瘍および傍子宮組織への線量を見積もるためのA点,B点を定め,ここに十分な線量が得られるように膣内のオボイド線源,子宮内のタンデム線源を配置する方法を明示したこと,同時に従来のmg-hr単位にかわって初めてレントゲン単位で線量を表示したことで,その後現在にいたる子宮癌の腔内放射線治療の基本となった.



原著論文

《1913-子宮癌治療の流れを変えた一連の論文》
子宮癌のレントゲン線およびメソトリウム治療について
Über die Erfolge der Röntgen- und Mesothoriumbehandlung beim Uteruskarzinom
Bumm E. Verhandl Dtsch Ges Gynäkol 14:384-386,1914

癌の非手術的治療
Die operationslose Behandlung des Krebses
Krönig B, Gauß. Verhandl Dtsch Ges Gynäkol 14:387-390,1914

子宮筋腫および子宮癌におけるレントゲン線治療,メソトリウム治療
Röntgen- und Mesothoriumbehandlung bei Myom und Karzinom des Uterus
Döderlein A. Verhandl Dtsch Ges Gynäkol 14:391-393,1914

図3.Krönigが使用したメソトリウム照射器具.周囲は重金属のフィルターとなっている.[6]

【要旨・解説】1914年,ドイツ婦人科学会の講演記録で,当時のドイツの婦人科学会のリーダー的存在であったベルリン大学教授 Ernst Bumm,ミュンヘン大学教授 Albert Döderlein,フライブルク大学教授 Bernhard Krönigが,それぞれ独立に,いずれも子宮癌の放射線治療の好成績を報告したもので,治療癌の放射線治療が認知され,子宮癌治療の転換点となった.

共通していることは,大量のメソトリウムを線源として,強いフィルターを使ってα線,β線を遮蔽し,大線量を照射し,適宜X線も併用していることである(図3).それまでもラジウム (226Ra)による皮膚癌など表在腫瘍の治療がそれなりの成績を修めていたが,当時はラジウムはフランスのキュリー研究所の寡占状態で,なおかつ供給量がきわめて少なくかつ高価で,少量しか使用できなかった.そこで打開策として供給量の多いトリウムの壊変生成物であるメソトリウム,すなわち228Raを使用したものである.228Raも226Raと同じく,α線,β線を放出するためそのまま使用すると大きな皮膚障害を生じることから,鉛フィルターを併用してγ線のみを選択的に照射する必要性が強調されている.

治療成績については,Bummは12例の放射線単独治療による治癒を報告し,Krönigは術後照射64例中,フィルター不使用の43例では23例が死亡したが,フィルター併用21例は全例で再発がなく,放射線単独治療48例中17例が治癒したとしている.いずれも観察期間が短いため完全治癒が得られたかについては保留しているが,放射線治療が手術に匹敵する治療手段であることが明らかとなり,その後の子宮癌治療の流れを大きく変えることになった画期的な発表であった.

原文 和訳 (3篇まとめて掲載)


《1935- Stockholm法》
いわゆるStockholm法とラジウム研究所における子宮頸癌の治療成績
The so-called Stockholm method and the results of treatment of uterine cancer at the Radiumhemmet
Heyman J. Acta Radiol 16:2,129-148,1935

図4.子宮頸癌の照射法.解剖学的条件や腫瘍の形状に応じて様々な形状のアプリケーターを利用する.

【要旨・解説】子宮癌の本格的なラジウム治療の嚆矢である,いわゆるストックホルム法の方法論と初期14年間の子宮頸癌,子宮体癌の治療成績を報告した記念碑的な論文である.ストックホルム法は,スウェーデンのラジウム研究所(Radiumhemmet)が開発した高線量率短時間照射法で,具体的には子宮内を40mg,膣内を75mgのラジウムで20時間照射し,これを1週後,1ヵ月後に繰り返して計3回治療する.解剖学的条件や病変の形状に応じた様々な形状のアプリケーターを開発,使用しており(図4),画一的な治療は困難で,症例に応じた個別の工夫が必要であるとしている.

1914~28年の子宮頸癌の治療成績は,5年治癒率がステージⅠ 57.5%,ステージⅡ 34.3%で,当時としては非常に優れた結果である.子宮体癌については正確な評価が難しいことから時期尚早としながらも,5年治癒率約50%としている.

論文の後半はやや冗長だが,均質な症例を用意して正確な治癒率を求めることがいかに困難かを例を挙げながら述べている.

原文 和訳


《1927, 1932- Paris法》
パリラジウム研究所における子宮頸癌の放射線治療
Radiotherapy of cancer of the cervix at the Radium Insitute, Paris, France
Lenz M. Am J Roentgenol 17:335-342,1927

原文 和訳


子宮頸癌の治療成績
Results of the treatment of cancer of the cervix uteri
Lacassagne A. Brit Med J. 19:912-3, 1932

原文 和訳

図5.膣内アプリケーターは普通のコルクにラジウム管を埋め込んだものを使用した.ここでは円蓋に2個,子宮口に接して1個,計3個が使用されている.円蓋のコルクはU字型スチール索で連結,固定されている.

【要旨・解説】パリのラジウム研究所の子宮頸癌のラジウム治療,いわゆるパリ法の論文である.ストックホルム法と総線量は同程度であるが,Regaudの理論に従って低線量率長時間照射法である点が異なる.

最初の論文は方法論を述べたもので,非常に具体的に細部まで説明している.ストックホルム法の膣アプリケーターは,症例に応じて数種類の様々な形状のものが用意されていたが,このパリ法では普通のコルクにラジウム管を埋め込んでおり,すべての症例で同じ大きさ,形状のものが使用されている(図5).ただし,その個数,ラジウム管の線量については必要に応じて増減される.1日1回,アプリケーターを取りだして洗浄する以外は,5~7日間連続で照射する.ラジウム量は子宮腔内は約33mg,膣内約13mgで,ストックホルム法にくらべてかなり少ない.傍子宮組織浸潤,骨盤内リンパ節転移がある場合は,X線外照射を追加するが,これも小線量を1日2回,10~25日間の長期にわたって照射する方法である.

2つ目の論文はその8年間の臨床成績をまとめたもので,5年治癒率はステージⅠ 55%,ステージⅡ 34%で,ストックホルム法とほぼ同程度の好成績を収めている.研究期間の前半後半で,技術の進歩により治癒率が大きく向上している点も,Heymanの報告と同じである.


《1938- Manchester法》
子宮頸癌治療のための線量システム
A dosage system for use in the treatment of cancer of
the uterine cervix
Tod MC, Meredith WJ. Br J Radiol 11:809-23,1938

図6. 膣円蓋に,パリ法のコルクに相当するゴム製のオボイド線源が2個,子宮腔内には金属チューブ(タンデム)が挿入されている.

図7. 傍頸部三角のA点は腫瘍線量,傍子宮組織のB点は閉鎖リンパ節の線量を代表する.A点,B点に十分な線量が照射されるように治療計画を立てる.

【要旨・解説】現在も子宮頸癌の放射線治療の基本となっている,いわゆるマンチェスター法の初報である.イギリスのHoltラジウム研究所は,この5年前,1933年にラジウムの様々な幾何学的配置に応じた線量計算法を発表し,これはマンチェスター法と呼ばれた.しかしこれは主として表在腫瘍,頭頸部腫瘍を対象としたもので,深在腫瘍である子宮癌には適用できなかった.本稿はこの点について研究したものである.

使用する線源は,膣円蓋にパリ法のコルクに相当するゴム製のオボイドを2個,子宮腔内に金属チューブを2~3本直列に置くもので,後者は現在では タンデムと呼ばれるものである(図6).子宮に座標軸を設定し,腫瘍自体および傍子宮組織の線量を見積もるためのA点,B点の座標を定め,ここに照射される線量を計算する(図7).従来法は線量をmg-hrsで表示していたが,子宮癌の線量をレントゲン(r)単位で表示したのもこの論文が初めてである.

論文の後半では,先行するストックホルム法,パリ法にこれを適用する方法を説明し,これもとに新しい照射法を提案し,これを自らマンチェスター法と称している.これは前述の腔内照射を48日間,5日の間隔をおいて2回繰り返すのもので,A点の腫瘍線量は7,200r (約63Gy)となる.原則としてX線外照射を追加し,B点の傍子宮組織はラジウム,X線合わせて6,500r (約56Gy)としている.

原文 和訳

出典