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乳癌

乳癌の放射線治療

乳癌の放射線治療は表在にあって治療の対象としやすかったこともあり,1897年の初報[1]以来,散発的な報告があるがいずれも確たる成果は見られなかった.1880年代にアメリカの外科医William Stewart Halstedが乳癌根治術を確立してそれなりの成績が得られていたことから,X線は補助的な立場とならざるを得なかったことは,子宮癌の場合と事情が似ている.

1920年代に術後照射の意義が論じられるようになり,その効果を否定する報告,肯定する報告が混在し,1935年にアメリカのMayo Clinicから3,000例以上を対象として術後照射の意義が検討されたが,肯定的な結果は得られなかった[2].術前照射についてもこの頃から検討され,特にスウェーデンで体系的な研究が行なわれた結果,1949年に術前,術後照射が術後照射のみよりも予後が良いことが示された[3].このほか,X線単独治療の試みもあり,1937年にKeynsはラジウム針による治療を行なっている[4].1949年,フランスでは遷延分割照射法を用いてⅠ/Ⅱ期で60%,Ⅲ/Ⅳ期で20%の5年治癒率を報告している[5].このように様々な放射線治療の試みはあったものの,1940年代まで,やはり乳癌の標準治療は根治的乳房切除術であるであることに変わりはなく,Halsted法の牙城を崩すことは難しかった.

1948年,イギリスのMcWhirterは,胸壁,腋窩リンパ節を切除しない単純乳房切除に,腋窩,鎖骨上窩を含む術後照射を加えることにより,Halsted法を上回る成績を報告し,現在にいたる縮小手術の流れに先鞭をつけた[→原著論文] .その一方で1957年頃から,これに対抗するようにHalsted法を上回る拡大根治乳房切除術が登場し,手術単独成績も向上したが,1962年にはKaaeが,前向き無作為臨床試験によってMcWhirter法とHalsted法の同等性を証明し,切除範囲の拡大に歯止めをかけた[6].さらに,1976年に開始された大規模無作為試験BSABP-04によってHalsted法を金科玉条とする乳癌治療は大きな方向転換を迫られ,術後照射の役割が確立した[7].

1954年,Mustakallioは腫瘍切除術と術後照射を行なう乳房温存治療の有用性を初めて示した[→原著論文].その後,1970年代からいくつかの乳房温存法の無作為研究が開始されたが,特に1976年に開始されたMBSABP-06は[9],腋窩転移のない早期乳癌では腫瘍切除術がHalsted法と同等の成績をあげること,術後照射は再発率を大きく低減することを証明し,1990年以降は標準的治療法となった.

原著論文

《1948-単純乳房切除術+術後照射(McWhirter法)》
乳癌の治療における単純乳房切除術と放射線治療の評価
The value of simple mastectomy and radiotherapy in the treatment of breast cancer
McWhirter R. Brit J Radiol 21:599-610,1948
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図1. McWhirter法の術後照射.腋窩リンパ節,鎖骨上窩リンパ節に対向2門,乳腺切除の胸壁に接線照射2門を行なう..

【要旨】 根治的乳房切除術の成績は,5年生存率35~45%とされ,これ以上の治療法は考えられないとされているが,これまでの統計学的扱いは不適切であり,これが正しい数値とは考えられない.母集団には高度の症例選択が行なわれており,手術適応のない進行例,不完全治療例が除外され,手術されるのは全患者の56%に過ぎず,実際の成績は25%程度と思われる.またステージ別の評価では,ステージの線引きによって成績は大きく左右される.治療法を正しく評価するには,症例を選択することなく,全症例,全ステージの5年生存率を比較する必要がある.エディンバラ王立病院の成績をこの方法で評価すると,専ら根治的乳房切除術と術後照射が行なわれた1935~40年の5年生存率32.4% (n=790) であったが,これに対して1941~5年は乳腺のみを切除する単純乳房切除術後に腋窩リンパ節を含めた照射を行なうことによりて43.7% (n=1,345) の成績が得られ,また手術適応例に限るとそれぞれ50.1%, 62.1%で,有意に優れた方法であることが証明された.

この新しい治療法では,乳腺のみを切除して筋膜,胸筋は温存し,腋窩リンパ節は切除しない.術後2週間から放射線照射を行ない,鎖骨上窩,腋窩を含む対向2門,および胸壁の接線照射2門,3週間で3,750rを照射する(図1).

【解説】 1948年当時,乳癌治療法の主流で,ほぼ完璧とされていた根治的乳房切除術(Halsted法)に対して,単純乳房切除術+術後照射で同等以上の優れた成績が得られることを示した初の研究である.

前半では,従来の根治的乳房切除術の好成績は,高度の症例選択の結果であると批判し,これを論理的に説明してより正確な評価方法を主張している.後半は,この方法で従来法と単純乳房切除術+術後照射を比較し,これが有意に優れた治療法であることを証明している.手術は乳房切除にとどめ,腋窩リンパ節には手を付けずに術後照射で治療するこのMcWhirter法は,Halsted法一辺倒であった乳腺外科に縮小手術の流れをもたらし,さらにこれに続く乳房保存手術への道をひらいたという意味で画期的であった.その後,1962年にデンマークのKaaeらが,Halsted法,McWhirter法,それぞれ約300例を対象とした前向き無作為比較試験を行ない,あらためて両者の成績に差がないことを証明している[6].

原文 和訳


《1954-腫瘍切除術+術後照射(乳房温存術)》
根治手術にかわる腫瘍切除術および放射線照射による乳癌の治療
Treatment of breast cancer by tumor extirpation and roentgen therapy instead of radical operation
Mustakallio S. J Fac Radiol 6:23-26,1954
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図2. 乳房保存腫瘍切除術後

【要旨】乳癌の標準的治療法として確立している根治的乳房切除術にかえて,乳房を温存して腫瘍のみを切除し,術後照射を加える方法を試みた.放射線治療は,術後直ちに開始し,乳腺に左右2門,腋窩に前後2門,鎖骨上窩に1門を照射する.適応は,臨床的に病変が乳腺にとどまっているものとした.この方法で127例を治療し,5年生存率は84%と良好であった.この方法は,心理的,機能的後遺症が少なく,今後推奨しうる方法である(図2).

【解説】現在の乳癌治療の主流となっている,乳房温存腫瘍切除+術後照射の初報である.線量が2100r (約18Gy)と少なめであることを除けば,現在の方法とあまり変わるところはない.しかし乳房保存療法が標準的治療になるにはまだこの先時間がかかり,1970年代から無作為比較試験が開始され[8,9],10~20年の長期成績からその確実性が確認されて現在にいたる標準的治療法となったのは欧米でも1990年頃,日本ではさらに10年遅れて導入された.

原文 和訳

関連事項

NSABP (National Surgical Adjuvant Breast and Bowel Project)

乳癌の治療法は,1897年にHalstedが開発した根治的乳房切除術(radical mastectomy)がその後半世紀にわたって標準的な治療法とされていた.Halsted法は,原則として腫瘍の大きさにかかわらず乳房,胸筋,所属リンパ節を切除するもので,切除範囲が広範であるだけに根治性はそれなりに高かったが,乳房を失い胸壁が大きく変形する美容上,心理的な問題,上肢の浮腫など機能的な後遺症を避けることができなかった.1940年代後半,ようやくその解決法,すなわち縮小手術の模索が始まった.

縮小手術に関しては,切除範囲,特に腋窩リンパ節の扱い,放射線治療の有無,照射方法について様々なアイデアが発表されたが,新しい治療法を標準治療として確立するためには大規模無作為比較試験が必須である.これを担ったのが,米国の National Surgical Adjuvant Breast and Bowel Project (NSABP)である[10,11].これは1947年に設立されたNational Cancer Institute(米国立がん研究所)の下で一貫して乳癌と大腸癌の治療法の研究開発と臨床試験を主導してきた独立研究組織で,1958年に患者登録を開始した.乳癌,大腸癌の臨床試験にはそれぞれ B および C で始まるプロジェクト番号が付されている.乳癌に関する最初の重要な研究は1971年開始されたB-04研究で,1,079例を対象として根治的乳房切除術,単純乳房切除術,単純乳房切除術+術後照射を比較して,生存率に有意差がないことを示し,縮小手術の有効性を初めて証明した画期的な研究であった[7].

続く1976年のB-06研究は,2,163例を対象として,単純乳房切除術,腫瘍切除術,腫瘍切除術+術後照射を比較し,生存率に有意差がないこと,放射線治療は生存率には影響しないが再発を有意に低減することを証明し,現在に至る乳房温存手術への道を拓いた[9]. さらに1982年のB-14研究はタモキシフェンの有用性を確立,1990年のB-32研究はセンチネルリンパ節生検の有用性を明らかにするなど節目節目で重要なデータを提供しており,NSABPの研究の歴史は,まさに乳癌治療の発展の歴史である. その後も多くの重要な臨床試験が実施されており,2020年の時点でB-51~55研究が進行中である.

出典