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コール  Lewis Gregory Cole

経歴と業績

コール(Lewis Gregory Cole, 1874-1954) [3]

1874年,New York州に生まれ,苦学の末New York College of Physicians (現コロンビア大学医学部)を卒業,1899年に開業した.複雑骨折の症例のX線撮影を撮影すべく,患者を馬車で隣町まで運び,夜暗くなるのを待って写真を現像したが,せっかく苦労して得られたX線所見と臨床所見は一致しなかった.これを機に放射線診断に興味を持ち,最初の論文 "Skiagraphic Errors; Cause, Dangers, and Prevention"を発表し[1],以後放射線医学の道を歩んだ.1901年,Cornell大学初の放射線科医となり(後に教授),肺結核の診断にX線撮影を初めて応用し,周囲の無理解と中傷に苦しみながらも病理標本とX線所見を対比して,1907年のInternational Congress on Tuberculosisでその成果を発表した.

この頃から,胃十二指腸の造影診断に取り組み,連続X線撮影装置を自ら設計,製作した.当時,消化管診断はウィーンのHolzknechtとその門下によるX線透視下の間接所見に基づく「症状群」(Symptom-Komplex)による診断が主流であったが,Coleの病変による粘膜異常を直接所見としてとらえてX線フィルムに撮影する方法は,これに替わって消化管X線検査の流れを変革するものであった.十二指腸球部を"cap"と称したのもColeである.当時はまだX線診断に疑念を抱く外科医も多かったが,Coleは友人の外科医Brewerの協力を得て,十二指腸潰瘍が疑われる術前27症例を検査し,潰瘍なしと診断したした11例全例が正診,潰瘍ありと診断した11例中9例が正診,疑診5例中4例が正診で,正診率89%という好成績であった[2].1914年にCoolidge管が発明されるといち早くこれを使用し,その有用性を広めた.

1930年代には,息子のWilliam Coleとともに塵肺症の研究を行ない,1939年の共著はその後の塵肺研究の端緒となった.第二次世界大戦後は,原爆被爆者の放射線障害の研究にも参加した[3-5]

出典