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ウィリアムズ  Francis Henry Williams

経歴と業績

ウィリアムズ(Francis Henry Williams, 1852-1936)[2]

1852年,米国マサチューセッツ州のUxbridgeに生まれた.父はHarvard大学の眼科教授であった.1873年,マサチューセッツ工科大学(化学専攻)を卒業.翌年,金星の太陽面通過の観測隊の一員として日本を訪れ*,世界各地を回った後,Harvard大学医学部に入学,1877年に卒業した.

2年間のヨーロッパ留学を経て1879年にBostonで開業,臨床医として患者の診療にあたる一方,Boston City Hospitalで細菌学の研究を行ない,アメリカで初のジフテリア抗毒素療法を成功させている.1896年にX線発見が伝えられると,ただちにマサチューセッツ工科大学の物理学教室の協力を得て研究室に撮影装置を備え,夜間に患者を連れてきては撮影し,胸部疾患におけるX線検査の有用性,特に結核や心臓病の診断に有用であることを実証した[1].これをみたBoston City Hospitalの理事会は,病院の地下室にWilliams専用の撮影室を設け,この撮影室は1905年に同院の放射線科部門となった.

WilliamsのX線研究の背景には,確たる臨床医としての視点があり,常に臨床所見との対比を重要視し,聴診,打診所見とX線所見を綿密に対比した.1899年にはCannonと共同で消化管運動をX線で観察する研究を開始した.1901年に著した "The Roentgen Rays in Medicine and Surgery" は米国における放射線診断の教科書の先駆けとなりその後版を重ねて80年以上にわたって読みつがれた.技術面でもX線機器の発明,改良に取り組み,様々なX線管球,線量計"Fluorometer",聴診装置とX線透視を組合わせた "See-hear" などを作り,またラジウムによる放射線治療にも取り組んでいる.同時代のX線のパイオニアで,特にX線防護に造詣が深かった歯科医のWilliam Herbert Rollinsとは,それぞれの妻が姉妹という関係で,その影響もあって初期からX線障害に強い関心をもって放射線遮蔽に配慮したため,当時としては珍しく,自身はもとよりその門下で放射線障害の犠牲になった研究者はなかったという.

晩年はマサチューセッツ工科大学,北米放射線学会など数々の要職をつとめ,1930年に引退するまで診療を続けた[2-4].

*金星の太陽面通過は8年,122年,8年,105年の周期で観測される.1874年12月9日の太陽面通過時は,欧米各国がこの現象を観測できる世界各地に観測隊を派遣した.日本には,アメリカの他,フランス,メキシコのチームが訪れ,長崎,神戸,横浜で観測を行ない,日本が近代天文学の基礎を学ぶ機会となった.アメリカチームは長崎で観測したことからWilliamsも長崎に滞在したものと思われる.

出典