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トビアス Cornelius Anthony Tobiasflag

経歴と業績

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Tobias ( Cornelius Anthony Tobias , 1918-2000) [1]

ハンガリーのブダペストに生まれ,ハンガリー大学で物理学を学び,1939年に1年間の奨学金を得て米国Earnest Orlando Lawrence研究所にわたり,サイクロトロンの発明者である物理学者のEarnest Lawrence1939年ノーベル物理学賞受賞), その弟で医師のJohn Lawrenceとともに核物理学の医学応用の研究を開始した.このLawrence兄弟とのチームワークはその後も長く続き,Tobiasは 粒子線治療の父 と称されることになった.1942年にカリフォルニア大学で博士号を取得したが,その学位論文の研究では炭素イオンを初めてサイクロトロンで加速した[1,2].

1952年,宇宙線による宇宙飛行士への障害を予測する研究を発表し,宇宙線が網膜を通過する際に光覚を来たす可能性を指摘した[3].1969年にアポロ11号のアルドリン飛行士らが実際に異常光覚を報告し,Tobiasらは自らサイクロトロンやBEVALACの放射線により光覚を来たすことを証明した. 

その後もカリフォルニア大学で研究を続け,1947年にErnest Lawrenceが184インチシンクロトロンを完成すると,これを使って初めて陽子の生物学的作用を明らかにし[4],1954年にBevatronが稼働すると重粒子線の医学応用の研究を開始した.その後もカリフォルニア大学教授として,HILAC, BEVALACを利用した研究で,重粒子線の酸素効果,細胞周期への影響など,放射線生物学的特徴を明らかにし,その後現在に至る重粒子線治療への道を拓いた.

出典