- 医学以外の放射線利用
- レントゲンフィーバー
- 絵画の鑑定
- 原著論文
- 1914 X線による絵画の鑑定
- 関連事項
- ・芸術としてのX線写真
- ・映画の中の放射線
- 切手の鑑定
- 原著論文
- 1955 X線による切手の鑑定
- ミイラの研究
- 原著論文
- 1967 ミイラのX線撮影
- 身の回りの放射線
- ・シューフィッティング
- 関連文献
- 2000 シューフィッティング透視装置の歴史
- ・ガラス器・陶磁器
- 関連文献
- 1987 NCRP報告:ガラス器・陶磁器からの被曝
- ・教育玩具
- 工業利用
- 関連事項
- 劣化ウランの利用
医学以外の放射線利用
レントゲンフィーバー
1895年にレントゲンがX線を発見,1896年1月に論文が発表されるや否や,ただちに医師や科学者によるX線の研究,応用が始まったが,同時に一般社会,大衆の間にも荒唐無稽なレントゲンフィーバーが巻き起こった(図1, 図2).
当時,いち早くX線装置の研究に取りかかったトーマス・エジソンのもとには,オペラグラスの枠を送りつけ,これに「X線をとりつけて」返送してくれという依頼が舞い込んだ.X線を至急「1ポンドほど」 送って欲しいという注文もあった[1].新聞,雑誌にはX線をテーマにした漫画が溢れた.X線を使えば,洋服の下が見える,さらには考えていることまで見通せると考えられ,何でも透視できる「X線メガネ」の広告が登場するかと思えば,このような透視からプライバシーを守る「X線防護下着」 が発売された.米国ニュージャージー州の議員は,オペラグラスにX線を使用することを禁ずる法案を提出して,さすがに失笑を買った[2].卑金属にX線を照射して,金に変えることに成功したという者も登場した[3].
一方,科学者は科学者で,なかば興味本位に手当たり次第いろいろな物をX線で撮影していた.そのような中から医学以外にも数々の有用な応用が生み出された.
絵画の鑑定
絵画をX線で透視し,その製作過程や上塗りされた下絵を分析する方法は現在も重要な美術研究の手段のひとつであるが,歴史的にもX線発見直後から絵画のX線撮影が試みられた.早くも1896年に,レントゲンの助手Walter Königが絵画を撮影したという記録があるが詳細は不明である.翌1897年,デューラー(Albrecht Dürer)の絵画の所有者が,その出処を確認するためにX線鑑定を依頼し,制作年とイニシャル "AD" を確認できたという事例が,絵画鑑定にX線が活躍した初例と思われる[6].
以後,絵画の鑑定にしばしばX線が使われるようになったが,はじめてこの手法を理論的に研究して確立したのは,ドイツの科学者Alexander Farberで,1914年の論文で様々な色素のX線吸収係数を計測し,X線写真の濃度と色素の密度の関係によって決まることを明らかにし,重ね書きした絵画のX線像を検討したが[→原著論文][7],特許を取得したため以後この技術は独占状態になった[8].1920年,フランスのAndré CheronもX線による絵画分析手法を研究し,高密度の下絵が隠れている場合はX線で描出できること,また14世紀から18世紀半ばの絵は,鉱物あるいは金属色素の絵の具のためX線で高濃度にうつるが,19世紀以降は有機絵の具が使われるようになったため,年代の推定にも有用であるとした[9,10].
当時,使用済の油彩キャンバスを流用してその上に全く新しい絵を描くことは普通に行われていた.またオリジナル作品の一部を後世の画家が手直しすることもあった[11].X線鑑定はこのような作品の分析に役立つと同時に(図3),絵の具の種類,筆使いなどを分析することにより作品の真贋の判定にも力を発揮した.以後X線による絵画鑑定は広く普及し,主な美術館にはX線装置が備えられるようになった.
原著論文
【要旨・解説】 著者のAlexander Faberはドイツの放射線科医.これ以前にも絵画のX線撮影を試みた報告はあるが,システマティックに分析方法を提案したのは,この論文が初めてである.Faberは同年,絵画鑑定におけるX線の利用に関する特許を申請している[8].ちょうど第一次世界大戦が勃発し,Faber自身も従軍したため,X線による絵画鑑定法が再び注目されたのは終戦後であったが,以後現在に至るまでX線検査は絵画の研究に欠くことのできない補助手段の一つとなった.
冒頭では,30種類の油絵の具のX線透過性と,比重,成分の原子量との関係を調べている.色とX線濃度の配列は必ずしも一定しないが,全般に白,黄,赤系はX線写真では白く,緑,茶は中等度,青,黒は暗い.これは白,黄色系は原子量の大きいPb, Cdなどが多く使用されており,青,黒系は原子量が比較的小さいFe, Coが主体であることによることがわかる.白,黄,赤でも,Al,Mgなど軽い元素から成る植物系絵の具では例外的にX線透過性が高い.
このような知識をもとに,実際例として17世紀のイタリアの画家による「ルクレチアの死」を細かく分析している(図4).この絵は一度修復されていることが分かっているが,X線写真によってたとえば顔や肩の部分の傷が上塗りされ修正されていること,指の形に手が加えられていることなどが見て取れた.また別の絵では,肉眼では見えなかった画家のイニシャルがX線で発見された.このようにX線は表からは見えない絵画の特徴を明らかにして,真正性や画家の画風を検討できる可能性があり,さらに研究を進める価値があると結んでいる.この時点で,実際にX線撮影を試みたのはまだ4例であるが,この後さらに例数を増やした続報を著している[7].
関連事項
芸術としてのX線写真
X線写真が,芸術の素材とされることも少なくなかった.最初期の例として,放射線科医のJohn Hall-Edwards が1914年に発表した花のX線写真がある[13](図5).その後も現在に至るまで,花は被写体としてしばしばとりあげられている.初期には通常のX線装置が流用されたが,現在では専用の撮影装置も製造されている.X線透過性の小さな被写体なので,撮影の基本は軟線を使用し,グリッドは使用せず,片面乳剤フィルムで低粒状性の画像を得ることである[14].花の他にも,昆虫,動物,コンピュータ,自動車などさまざま被写体が撮影されている[15].
コラージュ作品の素材としてX線写真が利用される例も多い.代表的な現代美術家のひとりであるRobert Rauschenbergのリソグラフ "Booster" (1967)は,作者自身の全身X線像を中心に据えた作品であった.Andy Warholの "Philips's Skull (CAT Scan)" (1985),Joyce Cutler-Shawの "Anatomy Lessons"では,CTが利用されている.その後も様々な芸術家が放射線画像を利用した作品を発表している.現役の放射線科医のBrett Prywitchは,芸術家でもあり,医用画像を利用した作品を数多く発表している[16].
映画の中の放射線
レントゲンがX線を発見した1895年11月の翌月,映画の発明者として知られるフランスのLumière兄弟が,世界で初めて一般人向けに有料映画を公開した.映画は爆発的に人気を博し,その後3年間で1000本もの映画が撮影された.X線が映画に初めて登場したのは,1897年に制作された「The X-Ray」* であった[17](図6).その後もX線はしばしば脇役的にとりあげられたが,1936年制作のアメリカ映画 「The Invisible Ray」** は,X線の負の側面を扱った初めての映画とされる.
* The X-Ray Fiendとしても知られ,わずか44秒のコメディ短編.もちろん無声で,男性が女性を口説いている場面に,"X RAYS"と書かれたカメラのようなものを持った科学者が登場すると,2人の男女の衣装が骸骨の絵が書かれたボディスーツに変わって骸骨が会話している状態となる.科学者が退場すると再び元の2人に戻り,男は振られて女が去って行く,というただそれだけの内容であるが,女性の持つ日傘も,X線下では骨だけになるなどなかなか良くできている.
** 未知の元素 "Radium X" を含む隕石を扱った科学者の体が暗闇で光を放つようになり,彼が触れる生き物はすべて放射線の毒性で死んでしまう... という話である.
1950年代から1960年前半,欧米で核実験が繰り返されると同時に原子力発電など原子力の平和利用が模索された時代,良い意味でも悪い意味でも一般社会に原子力,放射線が馴染み深い存在となり,放射線が重要な役割を果たすストーリーのB級,C級の映画が数多く生み出された[18].例えば1956年に公開された「The Gamma People」はガンマ線で人々を狂わせて社会を支配しようと企むマッドサイエンティストの話,1963年「The Man with X-ray eyes」 は,その題名の通り,天才科学者がX線透視能力を得られる目薬を開発するというプロットである(図7).
この時期,放射線,放射能による突然変異で超能力を獲得するという筋立ての作品が登場する.1954年公開の日本映画「ゴジラ」はその代表で,ゴジラは核実験による放射線によって突然変異を起こして生まれた怪獣とされている.1962年にコミックとして登場しその後映画化された「スパイダーマン」では,放射線を浴びたクモに刺された主人公がクモのような超能力を得る.同じく1962年にコミックで登場,1977年に映画化された「超人ハルク」もガンマ線によって遺伝子の異常を来たした主人公が超人化するという設定である.
放射線は登場しないが,1966年にアメリカで公開された「Fantastic Voyage」 (邦題:ミクロの決死圏)は,脳出血を起こした瀕死の科学者を救うべく,ミクロ化した潜水艇を末梢血管から脳血管に送り込んで治療するというストーリーで,周囲の科学者は外部から潜水艇の位置をモニターしながらこれを見守っており,その後のInterventional Radiology (画像下治療)の予兆となる作品であった.
切手の鑑定
切手収集の世界でも,収集家の懐を狙う偽造,変造が古くから後を絶たなかった.1955年,X線を切手の研究,分析に初めて応用したのは,熱心な切手収集家でもあったアメリカの放射線科医Herbert C. Pollackで,コダックの技術者の協力を得て,3つの分析法を提案した[→原著論文].すなわち,低電圧のX線で撮影する方法(low-voltage radiography),高電圧X線を照射して印面から発生する電子線を利用する方法(autoelectronography),そして切手の上に鉛などの金属板を重ねて高電圧X線を照射し,金属板から放出される電子を利用する方法(x-ray electronography)である.これによって,例えば消印に隠れて見えなくなった印面を描出したり,修復,偽造の痕跡を明らかにできることを示した.
このようなX線検査が現在どの程度利用されているか不明だが,エレクトロノグラフィーは指紋,旅券などの鑑定に利用されている[19,20].
原著論文
【要旨】郵便切手の収集は趣味として広く普及しており,非常に高価なものもあることから,高度な技術によって郵趣家を欺く修復,偽造も少なくない.しかし,裸眼はもちろん,拡大鏡,紫外線などでは真正性の鑑別が難しい.X線を使用すると,印面,消印,紙,透かしなどをより明らかにすることができる.切手のX線分析には3つの方法がある(図8).
1. 低電圧X線ラジオグラフィー(low-voltage radiography).基本的に通常のX線撮影と同じ原理で,切手を透過するX線で画像を作るが,10kV前後の低電圧を使用すること,切手とフィルムが充分密着していることが重要である.この密着には,ボード上に並べた切手にプラスチックカバーを重ね,真空ポンプで排気して密着させる装置を使用する.印面のインクは金属を含むが,消印はカーボンインクなので,この方法で消印を除去した画像を得ることができる.
2. オートエレクトロノグラフィー(autoelectronography).高電圧(200kV)で,銅フィルターで軟線を充分除去したX線を照射する.インクに含まれる金属が放出する電子を利用して画像を作る.消印のインクのように軽い原子からの電子の放出が少ないので消印を除去できる.
3. X線エレクトロノグラフィー(x-ray electronography).鉛箔を切手の上に置き,前法と同様に高電圧のX線を照射することにより,鉛から発生する電子を利用して画像を作る.鉛から発生する電子は,インクから発生する電子よりもはるかに多いため,印面は見えず,紙,透かしの状態がわかる.
【解説】 切手のX線検査を初めて本格的に考案したのは,アメリカの放射線科医で,自らも熱心な切手収集家であったこのPollackであった.切手は単価が安いこともあり,使用目的の偽造は少ないものの,収集家の懐を狙う偽造,変造は後を断たず,様々な鑑定法が開発されている[21].
切手は紙もインクも非常に薄いため,高度の軟線を使用しないとX線吸収係数を識別できない.第1法はこれにより,インクの吸収係数を反映する方法である.第2法は硬X線を使用して吸収係数は無視して,インクが発生する電子線を利用するもの,第3法は電子を外部から供給して紙質を鑑定する方法である.
ミイラの研究
レントゲンの論文が発表されてわずか3ヵ月後の1896年3月,ドイツの物理学者Walter Königは初のX線アトラスとも言える写真集[22]を出版したが,この中にヒトのミイラの膝,鳥のミイラの写真が含まれており,おそらく初のミイラのX線写真と思われる*.その後20年間,主にドイツ語圏でエジプトやペルーのミイラのX線撮影が散発的に報告されている[23](図30).当時,エジプトのミイラとされていたものの中には贋作も少なくなく,X線はそれらの鑑定にも有用であった.
*この同じミイラのCTによる再検が,2016年に報告されている[24].
しかし初の本格的なミイラのX線研究は,1967年の放射線科医Peter Grayによる論文で,イギリスおよびヨーロッパ各国の博物館所蔵のミイラ133体のX線検査を行ない,年代によって遺体処理方法が異なることを明らかにした.また中には贋作が含まれていることもわかった[→原著論文].1973年,イギリスの考古学者Harrisは,カイロ博物館所蔵のファラオのミイラの系統的調査結果を著した[25].このような方法は放射線考古学(Paleoradiology)と呼ばれるが,この言葉を初めて使用したのは,アメリカの放射線科医Derek Notmanで,1845~8年の北極探検中に遭難,全員が死亡したフランクリン遠征隊員2人の遺体のX線所見を報告した1987年の論文中に登場している[26].
1977年,初めてミイラのCTが撮影された[27,28].その後,CT技術の急速な進歩に伴い3D再構成画像が容易に得られるようになり,ミイラのみならず様々な考古学的資料,仏像などの調査にCTは必須の手段となっている[29].
原著論文
【要旨】ミイラ研究におけるX線利用は充分に研究されていない.そこで,ミイラを所蔵するイギリスおよびヨーロッパ各国の博物館に依頼して,133例(うち成人88例)のミイラのX線撮影を行った.検討したX線所見は,考古学的な側面については人骨の有無,年齢・性別,ミイラ作製法の確認,副葬品の確認,また古病理学的な面については,骨病変,軟部病変の評価である.
19世紀初頭に購入されたミイラは,棺の中身が空であったり,動物のミイラであったり,石と木が入れられた偽造品もあった.棺に描かれた性別,年代と内容が異なるものもあった.初期(2500 B.C.前後)は,臓器を摘出してカノポス壷に収めていた.ミイラ製作技術が大きく進歩した第18~20王朝(1567~1086 B.C.),技術が頂点に達した第21王朝(1085~935 B.C.)では,摘出した臓器を布に包んで,再び体腔に戻した(図10).第26王朝(664~525 B.C.)では内臓を体内に戻さず,包みを両脚の間においたり,再びカノポス壷を使用するようになった.プトレマイオス朝期(332~30 B.C.)になると頭蓋や体腔に樹脂を流し込むようになった.ミイラ製作は640 A.D.頃まで続いたが,製作法は次第に粗雑になり,体腔に石や砂が充填された例もあった(図11).病的所見としては,脊椎の骨関節炎(成人88例中17例),骨成長停止線(約30%),骨折,顎骨嚢胞,骨梗塞,内軟骨腫,骨形成不全症,動脈硬化性変化,胆石などが認められた.悪性腫瘍,結核,梅毒,癩病などの所見はなかった.
【解説】ミイラのX線撮影は,誰しも考えるところで,X線発見直後から散発的に行われていた.しかし,多数例を撮影して,ある程度まとまった所見を記載したのは,この論文が初めてである.
冒頭に当時のミイラ作製法が簡潔に述べられている.エジプトではもともと,遺体を砂に埋める風習があり,高温,乾燥した環境のため遺体はきれいに保存された.しかし死後の世界への信仰から大きな墓に入れるようになると,遺体が腐敗することからミイラ製作の技術が発展したという.内臓は側腹部の切開創から,脳は鼻孔から摘出したとの記載があり,いずれも狭い術野からどのように摘出したのか興味あるところであるが,この内臓の処理の仕方が年代により異なり,ミイラの年代推定の手がかりとなるという.時代が下るに従って,次第にミイラの作りが雑になってゆくという点も興味深い.
病的所見についてはあまり詳しく触れられていないが,変形性脊椎症,動脈硬化症が比較的多い.2018年に発表された過去の論文に記載された189例のエジプトミイラのメタ解析でもやはり同様の傾向が報告されている [31].
身の回りの放射線
シューフィッティング
1920年代頃から欧米で,X線透視を利用して足に合った靴を選ぶためのシューフィッティング装置が普及した.発明者については諸説あり定かでなく,同時多発的に発明されたようである.代表的なものはイギリスのペドスコープ(商品名,Pedoscope) であった.靴を履いた状態で装置の下部に足を入れ,上から透視することによって,靴の輪郭と足の骨の状態がわかり,適切なサイズ,形状の靴を選ぶ手助けとなるというもので,主にサイズ合わせが難しい子供が対象とされたが成人にも利用された.検査を担当する店員だけでなく,客自身や親も覗き込むことができるように装置の上部には観察窓が3つあいている(図12,図13).1950年代までは法的規制は皆無で,自由に設置,使用できた.
1930年代から50年代まで,アメリカだけでも累計1万台が稼動していたとされ,平均的な1回20秒間の透視による照射線量は36~116Rであった[32].1人の被検者が,靴を変えて数回透視することも多かった.被検者,特に成長期にある小児の骨への被曝のみならず,漏洩X線に繰返し被曝する店員の健康障害も懸念され[33,34],再三警告,規制が行われたが,一部の施設では1970年代まで使用されていた.しかし,実際にどの程度の被害があったかについては不明で,疫学的なデータはなく,症例報告もほとんどない[→関連文献].
関連文献
【要旨】シューフィッティング透視装置は,1920年代のアメリカ,イギリスでほぼ同時に発明された.イギリスのペドスコープ社のペドスコープ(Pedoscope)はその代表で,北米,南米,ヨーロッパ,オーストラリアで広く使用され,1950年代の最盛期には,イギリスで3千台,アメリカで1万台が設置されてた(図14).靴を履いた足を上から覗き込むように透視して,靴と足の骨の状態をみるもので(図13),特にフィッティングが難しい子供の靴選びに多く利用された.上部には靴店員,母親,子供が同時に観察できるように3本のスコープが備えられていた.ただ実際にはこれでフィッティングするわけではなく,顧客にもスコープを覗かせて満足させ,科学的な雰囲気を醸し出して顧客を呼び込む販売戦略の一環であった.また社会的背景として,第一次世界大戦後の軍事衛生学で靴と健康の関係が強調され,母親の中に科学的なアドバイスを求める風潮があったこと,また1930年代の不況時代にあって,親の財布の紐を緩め,子供の靴を頻繁に買わせようとする販売姿勢があった.
当初から被曝の危険性に関する指摘はあったが,真剣にとりあげられることはなかった.しかし1949年のNew England Journal of Medicine誌に,その危険性を指摘する論文が立て続けに掲載され,その後の調査でも装置の管理が杜撰であることがわかり,顧客,店員の健康障害が危惧された(図15).装置メーカーは防護装置を追加したり自主規制を行ない,また政府,学会も規制に乗り出したが,法的規制は遅々として進まず,ペンシルベニア州が初めて装置の使用を禁じたのは1957年であった.しかし1945年の原爆投下,その後1950年代の世界的な核実験が相次ぐ中で一般市民の間にも放射線障害への関心が高まり,1960年以降,シューフィッティング装置は急速に姿を消した.しかし,実際にこの装置による健康被害が報じられたのは,勤続10年の靴販売店員の足に発生した慢性放射線皮膚炎の1例のみで,疫学的な実態は不明のままである.
【解説】シューフィッティング透視装置は,1920年代から1950年代まで,欧米では広く利用され,大きな靴店には必ず設置されていた(日本では使われなかったようである).当初の30年は,全く無規制で,靴店の店員が自由に操作していた.その潜在的リスクは早くから散発的に指摘されていたが,あくまでも皮膚炎,骨端閉鎖など潜在的可能性を指摘するのみで実際の健康被害は上記の1例を除いて報告されなかった.
図中の線量分布を見ると,計測部の足の位置では12R/minで,吸収線量は(1R≒1radとすると)120mGy/min,実際の透視時間は1回20秒程度であったとのことなので,1回40mGyであれば急性障害を来たすほどでない.観察スコープの位置では0.005R/hr ≒ 0.05mGy/hrで,おそらく健康被害は実際になかったのであろう.しかし,X線装置が野放しの状態で1960年代まで使用されていたということは驚くべきことである.
ガラス器・陶磁器
ドイツとチェコの国境に位置するヨアヒムスタール(Joachimstahl,現Jáchymov ヤヒーモフ)は,16世紀以来銀山として栄えたが,当時から銀とは異なる黒い鉱物があることが知られており,ピッチブレンド*と呼ばれていた.1789年,ドイツの科学者クラプロート(Martin Klabproth)はこのピッチブレンドに化学処理を加えて新しい元素を抽出し,1781年に発見されたばかりの惑星,天王星(Uranus)にちなんでウラン(Uranium)と命名した.これは実際には二酸化ウラン(UO2)であったが,その後1841年にフランスの化学者ペリゴ(Eugéne-Melchior Péligot)が金属ウランの単離に成功した.
*独 Pechblende,英 pitchblend.現在では瀝青ウラン鉱,閃ウラン鉱と呼ばれている.
当時,ウランの主たる用途は専らガラス器,陶磁器の彩色であった.ガラスに少量のウランを混入すると美しい黄色~緑色が得られ,さらに紫外線を当てると蛍光を発する(図16).これはウランガラスとして珍重され,1840年頃からまずボヘミア地方,その後フランス,イギリス,さらにアメリカにも急速に普及した.日本でも19世紀末,既に製造が始まった.ちなみに1896年,フランスの物理学者 Henri Becquerel は,このウランの蛍光を研究する中で,ウランが蛍光以外の未知の光線を放出していることに気づいて 放射能を発見 した.
またウランは,陶磁器の釉薬(ゆうやく,うわぐすり)としても利用され,その濃度によって黄,赤,黒などの彩色が得られた.特にアメリカでは,1936年にホーマーラフリン(Homer Laughlin)社が発売したフィエスタウェア (Fiestaware)シリーズの鮮やかな5色の食器は好評を得たが,このうちオレンジ色を始めとするいくつかにウランが使用されていた[36] (図17).当時,他の多くの陶磁器メーカーもウランを使用しており,住宅用タイルなどにも広く利用された.
しかし1932年にJames Chadowickが中性子を発見,1939年にOtto Hahnがウランに中性子を照射して核分裂を発見,そして1942年にEnrico Fermiが世界初の原子炉を作って核分裂連鎖反応を証明,すなわち核兵器開発が可能であることが明らかとなるや否や,アメリカ,イギリスではウランの非軍事利用が禁止され,ウランを含むガラスや陶磁器の製造は中止に追込まれた.しかし1960年代になると民間でのウラン利用規制が緩和され,使用済原子炉燃料に含まれる劣化ウラン[→関連事項]を利用したウランガラスの製造が再開された.現在も一部のメーカーで少量製造されているが,市場に出回る製品のほとんどは戦前の骨董品である.フィエスタウェアも,1973年を最後にウラン釉薬を使用していない[→関連文献].しかし,ガラス器,食器に含まれる238Uはα線,中性子線を放出し,その壊変物質である234Th, 234Pa, 234Uなどはβ線,γ線を放出するものの,いずれもきわめて微量であることから健康被害は考えにくい.例えば,フィエスタウェアのプレート皿から30cm離れた位置での計測値は,γ線 6.5x10-6mSv/時,β線 2.4x10-5mSv/時とされる[36].
関連文献
and miscellaneous sources - Glass and Ceramics
【要旨・解説】NCRP (米国原子力規制委員会)の報告書 "Radiation Exposure of the U. S. Population from Consumer Products and Miscellaneous Sources" (消費財およびその他の線源による米国民の放射線被曝)は,身の回りの生活用品,家庭用品からの微量の被曝を扱っており,具体的には電気製品(テレビ,ディスプレイ),放射性同位元素を含む製品(煙草,建築材,肥料,燃料,ガラス,陶磁器,電球)などについて,現状と規制について記載されている.本稿はそのうちガラス器,陶磁器を扱った章である.
ガラス器:ガラス器の着色には,ウラン酸炭酸ナトリウムが1940年代まで使用されていたが,現在(1987年)では花瓶など食器以外のガラス製品にウランを使用しているメーカーは2社である.10%までのウラン,トリウムの含有が認められている.
陶磁器:釉薬(=うわぐすり)のウラン化合物が使用されているものがある.5~200μGy/hの表面線量率が計測され,また10~55ppmが表面から浸出するが,実際には放射線よりも化学毒性の危険の方が高いと考えられる.食器については,現在認可されていない. ガラスエナメル:食器,宝飾品,特に七宝焼きなどのエナメル製品の着尺にウランが使用されていたが,体表に接して使用されることから,現在では禁止されている.
歯科用製品:陶製の義歯は,長石を含むため天然の40Kを含むが,これに加えて自然な発色と蛍光を目的として少量のウランが添加されている.ウランによる口腔粘膜のα線被曝は年間線量当量1.3Sv,ウランとカリウムによるβ線被曝は同9mSvであった.現在使用されている歯科用陶磁器にはウランは使用されていない.
眼科用ガラス製品:ガラスの着色用,あるいはガラス成分の稀土類の不純物としてトリウムが含有されている.眼鏡を毎日16時間装用すると,角膜に対してα線の吸収線量は年間2mGy,β線も同程度,年間線量当量率はα線 40mSvとなる.現在,米国内のメガネレンズの約半数はプラスチック製になっている.
これらの記載は,本稿が執筆された1987年の米国の状況,知見によるものであるが,この時点既にいずれも健康への直接被害はない程度に規制されていることがわかる.現在の日本国内でも消費財が被曝の原因になることは稀といえよう[39,40].
教育玩具
1950~60年代,原子力への関心が高まる中で,アメリカでは子供向けの教育玩具として,核物理学実験キットが複数発売されていた.最初期のものとしては,1947年にPorter Chemical社が発売した「Atomic Energy Kit」があり,ラジウム内蔵のスピンサリスコープ*,ウラン鉱,ウラン化合物,放射性スクリーンがセットされていた[41].
1950年発売の「Gilbert Atomic Energy Lab」は,ウラン鉱石,α,β,γ線源(210Pb, 106Ru, 65Znなど),スピンサリスコープ*,電離箱,ガイガーカウンターなどがセットになっており,150種類以上の実験が可能と謳っている(図18).これによる健康被害の報告はないが,当時50ドル(現在の価格で500ドル以上)と高価であったことからあまり売れなかったようである.[42].
* Spinthariscope. 硫化亜鉛をシンチレータとしてα線による光点を観察する望遠鏡のような形の装置.
工業利用
X線による工業製品,特に金属の非破壊検査は最初期から広く試みられた.レントゲン自身も,ライフル銃のX線写真を撮影しており[43],1897年には既に金属の内部欠陥や溶接部品の状態を知ることができたという記載がある[44].しかし工業的利用が加速したのは第一次世界大戦(1914~18)以降で,飛行機の部品,溶接部の検査などに広く用いられた(図18).
1933年には,アメリカのフーバーダムの全長75マイルに及ぶ導水管をくまなくX線で検査し,撮影回数159,000回,使用フィルム24万平方インチ(15,000m2)という,現在に至るまで最大規模の非破壊検査であった.1930年代にはラジウムのγ線による非破壊検査も行われたが,その後原子炉による同位体製造が可能となり60Coが用いられるようになった.
第二次世界大戦後,米国原子力委員会(Atomic Energy Commission)は放射線,原子力の平和利用の一環として,非軍事産業や医療における放射線,放射能の利用を推進したが,そのひとつに製鉄用高炉の耐火煉瓦への60Co添加がある.高炉の耐火煉瓦は次第に劣化,崩壊するため交換が必要であるが,運転中の高炉の目視検査は不可能なため,崩壊に伴って放出される放射能をモニターすることに煉瓦の状態を知ることができた*.
*このため,戦後製造された鉄には原則として微量の60Coが含まれている.健康に被害を及ぼすような量ではないが,高精度の放射線計測装置には不都合である.そこでこのようなCo非含有鉄が必要な場合は,戦前の鉄製兵器が利用されることがある.欧米では1919年にイギリス軍がスカパフローに沈めたドイツ戦艦,日本では1943年に岩国沖で爆沈した戦艦陸奥の鉄 (いわゆる「むつ鉄」)が利用される[45].
関連事項
劣化ウランの利用
ウランの主な同位体には核分裂性の235U,非核分裂性の238Uがある*1.天然ウラン鉱には235Uは0.7%しか含まれていないため,核分裂の連鎖反応を利用する原子炉燃料,核兵器としての用途には,様々な方法で235U濃度を用途に応じて2~20%以上に高めた濃縮ウランを使用する.この過程で,235U濃度が0.2~0.3%に低下したウランを生じるが,これが劣化ウラン(=減損ウラン depleted uranium)である.劣化ウランはもはや通常の核燃料としては利用できないが*2,ウラン自体の高密度*3,高原子量,高強度という物理的特性を生かして,幅広い用途がある.
高密度の利用例としては,航空機の動翼のフラッタリング防止用カウンターウェイト,高原子量の利用例として,ガンマカメラの線源遮蔽などがある.高強度の利用例として最大の用途は装甲弾,戦車の装甲など軍事用途である.従来のタングステンに比較して小型化,軽量化できることから広く採用されている.
劣化ウランの放射線は微量なため,通常の日常生活で問題になることは考えにくいが,兵器に使用された場合,破壊された金属の飛散による体内被曝の問題が発生する.また,重金属としての化学毒性,特に腎障害が指摘されている[46,47].
*1 核分裂性:熱中性子をあてると核分裂を起こす性質.自然元素としては235Uのみで,人工元素としては239Pu,233Uなどがある.
*2 劣化ウランに多く含まれる238Uに高速中性子を照射して核分裂性物質239Puに転換し,これを燃料とするのが高速増殖炉である.世界各国で開発が進められたが,種々の技術的問題から大部分が廃炉となり,実用化の見通しは立っていない.
*3 ウランの密度は19 g/cm3.タングステン(19.3),金(19.3)に次ぎ,鉛(11.3)より70%も重い.
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