- 胸部2
- 心疾患の胸部X線所見
- 原著論文
- 1900 心臓の計測法-正写法 Orthodiagraphie
- 1908 心臓の正確な撮影法-遠隔撮影法 Teleröntgenographie
- 1912 心胸比
- 関連文献
- 1930年における胸部X線写真による心疾患診断に関する総説
- 間接撮影法
- 原著論文
- 1936,1939 間接撮影法
胸部2
心疾患の胸部X線所見
胸部X線写真による心疾患の診断法開発もX線発見直後から開始され,前述のWilliamsは1898年までに当時知られていた心疾患のほとんどを検査している.しかし,特に動きのある心臓の診断は当時の長時間露光を要するX線撮影では不可能で,もっぱらX線透視が用いられた.
当初の関心は,心臓の形状,大きさの評価にあったが,X線透視ではX線管球と蛍光板の距離が接近しているため幾何学的歪みが大きく,正確に計測できないという問題があった.そこで1902年,Moritzが発明したのが正写法(Orthodiagraphie)[→原著論文]である.これは,薄いスリットが開口した遮蔽板とX線管球を連動させて平行移動することにより,X線束をコリメートして常に蛍光板に垂直に入射するように工夫した装置である.術者は蛍光板に写る心臓の輪郭に沿ってスリット遮蔽板を移動しながら観察し,その位置を蛍光板上のトレーシングペーパーにプロットしてゆく.心陰影の形状を正確に記録,計測できることから一時期広く用いられたが,煩雑である同時に長時間被曝の危険があった.
1908年,Köhlerは,管球フィルム間距離を1.5~2mとして幾何学的歪みを最小限にする遠隔撮影法(Teleröntgenographie)[→原著論文]を開発した.これは現在の胸部X線写真撮影法に匹敵する方法で,容易に正確な心陰影の大きさを評価できるが,当時の低出力のX線装置では遠距離透視の画質は不十分で,実用的になったのは1913年,高出力のCoolidge管の登場以降であった.
このようなX線による心の形態,大きさの評価は,従来の触診,聴診による方法にくらべて信頼性が高いことはすぐに明らかとなり,客観的評価法が検討された.現在も広く用いられている心胸比[→原著論文]は,1919年にDanzerがその有用性を報告したものである.特に1920年代には心計測法の研究が盛んに進められ,心容積の推定法,いろいろなパラメータと身長,体重との相関が研究されさまざまな方法が提案されたが[1],いずれも煩雑であったり,臨床的な意義を見いだすことができず,結局,最も簡便な心胸比だけが生き残って現在に至っている.
さまざまな心疾患,特に弁膜症のX線所見が研究され,1912年にはGroede[2]が現在 mitral configuration, aortic configuration と呼ばれる各弁膜症に特徴的な心陰影の形態を報告しているが,1930年,Steel[3]が報告した弁膜症の総括論文は現在の知識をほぼ網羅している(図1).各心腔の個別評価には斜位像が有用であることはHolzknecht[4],Rieder[5]らの初期の教科書にもすでに記載されているが,1930年,O'Kaneら[6]が左斜位の重要性,Patterson[7]が食道との関係を指摘している.
先天性心疾患のX線診断は,1898年にZinnが動脈管開存症を報告して以来,他の領域に比して進歩が遅れていたが,1930年代になってJacob Polevsky[8],Maude Abott[9],Helen Taussig[10]らが次々と教科書を著してその基礎を築いた.AbottとTaussigはいずれもこの時代としては珍しい女性放射線科医であった.
原著論文
【要旨・解説】心疾患の診断には,心臓の形状,大きさを正確に知ることが重要であるが,当時のX線透視やX線撮影は,寝台のすぐ下にX線管球を置くことが一般的であり,自ずから焦点被写体距離が小さく,現在でいう拡大撮影の状態であった.X線束は扇状に散開するため,形状の歪みも大きい.この問題を解決すべく発明されたのが,この正写法(Orthodiagraphie)である.
患者を載せた検査台をはさんで蛍光板とX線管球が常に連動して平行移動するようになっており,蛍光板を上から覗き込んで,テーブルの下にぶら下げた鉛の振り子が1本の線に見えるように視線を置けばX線管球から蛍光板に垂直に入射するX線で透視していることが保証される(図2).この状態を保ちつつ,心臓の輪郭に沿って蛍光板と管球を少しずつ動かしながら,トレーシングペーパーに赤インクで点を打ち,これをあとから線でつなぐと心臓の輪郭が描けるというものである(図3).
被曝防護はまったく考慮されておらず,きわめて原始的な方法に思えるが,製品化されて,当時これを利用して多くの研究が行なわれた.原理的に計測精度はそれなりに高いといえるが,やはり煩雑であることからほどなく Teleröntgenographie にとって替わられることになった.
【要旨・解説】前述の通り,当時のX線透視は焦点被写体距離が短いため拡大撮影となって画像に歪みがあった.これを解決するひとつの方法が前述の正写法であり,それに次いで登場したのがこの遠隔撮影法(Teleröntgenographie)である.ここでいう「遠隔」とは,X線管球と被写体,X線フィルム(この時代はまだ乾板)の距離を1.5~2m離して撮影する方法である(図4).現在の胸部X線写真の標準的な撮影法は2m(あるいは3フィート)であるから,現在から見ればごく当たり前の撮影法であるが,当時の貧弱なX線装置ではこの距離に耐える十分なX線量を照射することは技術的な困難を伴った.
論文ではまず,先行法であるMoritzが開発した正写法に対する遠隔撮影法の利点として,心臓の輪郭のスケッチによって大きさしか分からない正写法に対して,心臓の陰影そのものが評価できる遠隔撮影法は,心臓の形態や濃度についても情報が得られること,肺血管の所見も評価できることなどの点を挙げ,遠隔撮影法の優位性を論じている.具体的な撮影法としては,立位で焦点被写体距離を1.5m以上とし,深吸期位の息止め下で20~30秒の露光時間としている.供覧されている写真は,心拍動のため肺門部は不明瞭であるが,心陰影の形態評価には十分と思われる.
撮影装置の仕様については,当時の「中等度」 のもので良いとして,さらに高性能な装置であれば距離を長く取れると述べているが,この方法がいわゆる「瞬間撮影法」(Momentaufnahmen)と組合わされて,現在とほぼ同程度の撮影が可能となったのは,1913年のCoolidge管の発明以降である.
【要旨・解説】特に1920年代,正写法(Orthodiagraphie)や遠隔撮影法(Teleröntgenographie)を使って,正常および疾患における心臓の大きさを計測する様々な試みが盛んに行なわれた.具体的には,心横径,縦径,面積などを計測したり,あるいはこれらの数値から心容積を推定し,さらにこれを身長,体重,胸囲,性別などと組合わせて正常範囲を求めようとするものもあった.しかしいずれも煩雑でありほとんどがほどなく消え去ってゆき,現在も使われているのは,心横径と胸胸郭横径の比,すなわち心胸比(cardiothoracic ratio)のみである.診断能という意味で心胸比が特に優れていたわけではなく,例えば1928年にさまざまな心計測をレビューしたEysterは,心陰影面積を年齢,身長,体重で較正する方法が最も正確で,心胸比は役立たないと結論している[11].しかし,何よりもその簡便性が受入れられた理由である.
心胸比の概念をおそらく最初に記載したのはここに紹介するドイツの放射線科医Kreuzfuchs(1912)で,正写法によってどんなに正確に絶対値を求めたところであまり意味は無く,むしろ胸郭に対する相対的な比が重要であるとしている.ただし現在の心胸比の定義とは異なり,右心横隔膜角のレベルで,右胸郭縁~心右縁(右心距離),心横径,心左縁~左胸郭縁(左心距離)の3つを計測し,正常ではその比が4:5:3であるとしている(図5).心胸比に換算すると0.42となる.現在の心胸比(cardiothoracic ratio)を定義したのは,ここに紹介した2本目の論文,アメリカの放射線科医Danzer(1919)である.500例以上の経験をもとに,正常値を50%以下,53%以上は確実に異常だが,50%以下でも心肥大は否定できないとしており,これは現在からみても正しい判断といえよう(図6).
関連文献
【要旨・解説】著者のPaul Dudley White (1886-1973)は,米国の循環器内科医の草分けで,1924年に創設された米国心臓病学会(AHA)の創始者のひとりでもあり,Wolff-Parkisnon-White (WPW)症侯群にその名前が残っている.本稿は1929年の米国放射線学会(ARRS)における基調講演で,内科医の立場から胸部X線写真の心疾患診断における役割を俯瞰したものである.
冒頭に自ら断っているように,主に批判的な立場から論じており,留意点を7つ挙げている.すなわち,(1)X線検査は万能ではなく正確な病歴が何より重要である,(2)初期,軽度の病変はうつらない,(3)重篤な疾患でもうつらないものがある,(4)一見精密にみえるが正常値の幅は広く,数値的な精度を追い求め過ぎることは好ましくない,(5)技術的に慎重を期さないと所見に誤りを生じ,触診,打診による確認が必要である,(6)診断は所見にとどめ病名を診断をしてはならない,(7)透視で多方向から観察することが重要である.最後に追記として,X線写真の利点についても挙げている.
最後の討論の部分は,本稿のみならず同時に発表されたシンポジウム演題全体に関わるものであるが,Whiteの言うとおりいろいろ再考すべき点はあるがX線検査は心疾患の診断に役立つという論調である.
全体として,心疾患の診断における胸部X線写真の意義を高く評価しつつも,その問題点に注意を喚起する内容である.要するに心臓のX線診断には限界があるが,それを弁えて使えば有用であるという常識的な内容で,ここに書かれていることの多くは現在もそのまま通用するが,X線検査の意義に賛否両論あった当時,その可能性を支持し,進むべき方向性を明示した点で重要な論文である.
心血管の胸部X線撮影法は,この時期にほぼ完成されているとも言え,血管造影,CT,エコーなど新しいモダリティーの登場後も,簡便な補助手段としての位置を保ちつつ,現在に至っている.
間接撮影法
X線検査による胸部疾患,特に肺結核のマススクリーニングは,第一次世界大戦の徴兵検査の一部ですでに行なわれていたが,1930年代になると公衆衛生への関心が高まり,学校,職場,地域住民を対象とするスクリーニング検査の必要性が叫ばれるようになった.しかし,X線透視でスクリーニングを行なうためには熟練した診断医を多数確保する必要があり,一方X線撮影はX線フィルムが高価で現像にも時間がかかることから,いずれも実際的とはいえなかった.そこでこの目的に特に開発されたのが間接X線撮影法(photofluorography)である.photofluorographyとは妙な名前であるが,要するにX線透視板の蛍光像(fluorography)を小型カメラでフィルムに撮影する方法(photography)で,撮影は技師に任せて,専門医がフィルムを後日まとめて読影できるので効率的である.
このような装置については既にX線発見直後の1年間に,イタリアのBattelliら少なくとも3篇の論文が発表されている[13-15].これはX線撮影がまだ難しかった当時,透視画像の記録を目的とするものであったが,結局いずれも画質が悪く実用化には至らなかった.このアイデアはその後長らく顧みられることがなかったが,ブラジルの放射線科医Manuel de Abreu(ジェ・アブリュー,1894-1962)は,1918年頃より肺結核のマススクリーニングを念頭において研究を重ね,1935年に実用的な装置を完成して,リオデジャネイロの公衆衛生センターで1日200件の撮影を行なうことに成功した[→原著論文].これは,蛍光板にカールツァイス社製の普通のカメラとりつけ,蛍光像を35mmロールフィルムに記録するもので,観察にあたってはルーペで拡大する必要があったが,従来のX線撮影やX線透視にくらべてはるかに低コストで,これに遜色ない鮮明な画像をえることができた.de Abreuはこれをレントゲン写真法 (Röntgen-photographia)と呼び,X線透視撮影法(fluorographia),間接X線撮影法(radiographia indirecta)という言葉も同義に使っている(日本では間接X線撮影法が一般的である).
1936年にこれが発表されると欧米各国もこれを採用し,1939年には世界中の検診機関で使われるようになった.1940年には,Potter[16]が35mmフィルムに替えて4"×5"フィルムを採用して拡大しなくても観察できるようになり,これは第二次世界大戦の徴兵検査に広く利用された.さらに,1942年にMorgan[17]が発明した曝射時間を自動調節するフォトタイマー(phototimer)は,間接撮影の省力化を目的に開発されたものであったが,その後一般撮影にも広く利用されるようになった.
間接撮影は通常のX線撮影に比較して被曝が多いことが問題であった.しかし1931年にSchmidt[18]が天体観測を目的として開発した反射型望遠鏡の原理を取り入れることによって光量が格段に向上し,被曝線量を通常撮影と同程度まで低減することができた.1947年にBouwers[19]がこれをさらに改良し,オランダのOdelca社から発売されたいわゆるOdelcaカメラは広く普及し,日本では胸部のみならず胃集団検診にも活躍した.
原著論文
【要旨・解説】いわゆる間接X線撮影法の初報である.肺結核の予防を目的として大人数の被検者の胸部X線スクリーニングを行なうにあたって,フィルムを使用する通常のX線撮影はフィルムのコストが嵩み,X線透視は機材のコストは小さいが専門の読影医を数多く必要とすることから,いずれも実際的ではない.ポルトガルの放射線科医 de Abreuは,X線透視の蛍光板を普通の写真に撮影する方法を開発,実用化した(図7).Photofluorography,日本では間接X線撮影法と呼ばれる方法である.
1936年の初報では,具体的な方法,装置について述べるとともに,X線撮影,X線透視との比較を論じており,X線撮影に比較してランニングコストが約1/3,X線透視にくらべてイニシャルコストが約1/10と低コストであること,診断能には遜色ないと述べられている.3年後,1939年の続報では,国内4ヵ所施設にこれを設置して,地域住民,職場,学校などにおけるスクリーニング検査を実施していること,また南米,ヨーロッパの25施設でも導入されていると報告している.肝心の検査数が書かれていないが,少なくとも国内1施設で35,000件の検査を行なったとの記載があり,おそらく4施設で10万件以上の実績があったものと思われる.
まだ抗結核薬ストレプトマイシンは開発されておらず,発見された患者は専らサナトリウムなどに隔離するにとどまっていた時代ではあるが,結核の蔓延を最小限にとどめるという公衆衛生学的意義は大きかったと言えよう.
出典
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- 2. Groedel FM. Die normalen und pathologischen Herzformen im Röntgenbild. Röntgentaschenbuch, 4, 1912
- 3. Steel D. Roentgenological and pathological findings in some of the valvular lesions. Am J Roentgenol 23:384-9,1930
- 4. Holzknecht G. Archiv und Atlas der normalen und pathologischen Anatomie in typischen Röntgenbildern (Lucas Gräfe & Silem, Hmburg, 1901)
- 5. Rieder H. Lehrbuch der Röntgenkunde (J. A. Barth, 1914 )
- 6. O'Kane GH, Andrew FD, Warren SL. A standardization roentgenologic study of the heart and great vessels in the left oblique view. Am J Roentgenol 23:373-83,1930
- 7. Patteron R. The value of roentgenologic study of the esophagus and bronchi in cases of heart disease, especially mitral disease. Am J Roentgenol 23:296-408,1930
- 8. Polevsky J. The heart visible. (F. A. Davis, Philadelphia,1934)
- 9. Abbott M. An atlas of congenital cardiac diseases. (NYHA, 1936)
- 10. Taussig H. Congenital malformations of the heart (Harvard University Press, 1947)
- 11. Eyster JAE. Determination of cardiac hypertrophy by roentgen-ray methods. Arch Int Med 41:667-82,1928
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- 18. Schmidt B. Ein lichtstarkes komafreies Spiegelsystem. Mitteilungen der Hamburger Stenwarte in Bergedorf. 7:15-17,1931
- 19. Bouwers A. Eine neue Röntgenkamera. Fortschr Röntgenstr 74:578-84,1951