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アルベルス=シェーンベルク  Heinrich Albers-Schönbergflag

経歴と業績

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アルベルス=シェーンベルク (Heinrich Albers-Schönberg, 1865-1921)[4]

1891年,チュービンゲン大学で学位取得,1892~94年エッペンドルフ総合病院を経てハンブルクで産婦人科医として開業した.1895年のレントゲンによるX線発見後,いち早くその研究を開始し,1897年には同僚のGeorg DeyckeとともにX線検査施設(Röntgeninstitut und Laboratorium für medizinische hygienische Unter­suchungen)を開設,1903年にはハンブルクの聖ゲオルク病院の放射線科部長として迎えられた.1919年には新設されたハンブルク大学放射線科教授となったが,これは世界初の放射線科教授職とされる.

1897年にドイツ初の放射線医学雑誌 Fortschritte auf dem Gebiete der Röntgen­strahlen を発刊,1905年にはドイツ放射線医学会(Deutsche Röntgen­gesellschaft, DRG)を創設した[1,2].

放射線医学上の業績は多岐にわたるが,1903年に放射線の生殖腺への影響を初めて動物実験で証明し,1904年にはX線管球に取付ける撮影筒(cone)を発明,1907年にはそれまで知られていなかった大理石病(Albers-Schönberg病)を報告している.1903年に出版した「Die Röntgentechnik - Lehrbuch für Ärzte und Studierende」(医師と初学者のためのレントゲン技術)は基本的な教科書として長年にわたって版を重ねた.

放射線障害の研究にも業績を残したAlbers-Schönbergであったが,自らも早期より手の腫れと痛みを訴え,1908年に皮膚癌が発生,数度にわたる指切断術の後,1910年に左前腕を切断した.その後,右手指に一部も切断,1920年に右腋窩リンパ節の腫大を来たし,放射線治療を試みたが奏効せず翌年他界した[3].放射線殉職者顕彰碑にその名前が刻まれている.

出典