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マンスフィールド  Peter Mansfieldflag

経歴と業績

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マンスフィールド(Peter Mansfield, 1933-2017) [6]

1933年,ロンドンに生まれた.15歳の時,印刷会社の助手となり,18歳で英国軍需省のロケット部門に職を得て夜学に通い,Queen Mary Collegeに入学,NMRの研究に携った.博士課程修了後,米国イリノイ大学,その後,Notthingham大学でNMRによる固体分析の研究を行なった.

1972年,結晶解析の手段であるX線回折法にかわり,勾配磁場を使用してNMRによって結晶構造を解析する方法を考案し,翌1973年,Lauterburの勾配磁場の応用の論文とほぼ同時期に論文を発表した[1].9月にポーランドの学会でこれを発表した際,会場から質問されるまでLauterburの業績は知らず,その後論文を読んで共通点に気付いたという.

Mansfieldは固体結晶物理学が専門であったが,固体でのイメージングは実際には困難であることから,液体,生体に対象を移してイメージングの研究をすすめ,選択励起法(line scan),エコープラナー法など,その後のMRIの基礎技術となる数々のアイデアを考案した.1977年に発表した大学院生の指の横断像は,世界初のヒトのMRI画像であった[1].これがきっかけとなって,大きな研究予算を獲得することができ,1978年には0.1T全身用MRIを製作した.しかし当時,磁場が心臓の機能に影響すると言われており,安全性に懸念があったため,自らが実験台となって腹部のイメージングを試みて成功した[2].

Mansfieldは特にこの時期,多くの論文を著わしているが,先見の明に富んだものが多い.たとえば,画像化の糸口となった1973年のNMR結晶回折法の論文には,既に空間周波数ベクトルの概念が明記されているが,これは1983年にTwiegらがk空間軌跡として表現して一般化された.1977年に提唱したエコープラナー法[3]は高速撮像技術として考案され現在でも最速の撮影法であるが,当時の装置では実現できず,商用機に搭載されるようになったのは1990年代であった.

1993年にナイトに叙せられ,温厚,控えめな性格で,同僚,学生には公私をこえて気配りし,PMの愛称で誰からも愛された.1994年に引退後も,Mansfieldは,自らの発明に対する特許料をもとに ,研究施設Sir Peter Mansfield Magnetic Resonance Centerを新設し,引退後も長くその所長として研究を続けた. 2003年,Lauterburとともにノーベル生理学医学賞を受賞[4,5].

出典