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ローターバー  Paul Christian Lauterburflag

経歴と業績

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ローターバー(Paul Christian Lauterbur, 1929-2007)[4]

アメリカのオハイオ州Sydneyに生まれた.子供の頃の学業はあまり優れなかったが,高校時代に化学実験に興味を覚え,自宅の地下室に実験室を作っていた.化学の試験でオハイオ州のトップとなり大学進学を決意した.1951年Case Western大学で化学の学士号を得た後,Dow Corning社に入社.同社のMellon研究所に配属されそこで初めてNMRに出会い,C-13の研究を行なった.朝鮮戦争で徴兵されたがその経歴を買われて研究所に配属され,NMRの研究を続けた.除隊後はDow Corning社にいったん戻ったが,Pittsburgh大学に入学,1962年に博士号取得,ニューヨーク州立大学(SUNY)准教授,1969年より教授(放射線学,化学)となった.

1971年夏,乞われてNMR Specialties社の臨時社長をつとめた際,Damadianの動物実験を追試するために大学院生のLeon Saryanが同社のNMR装置を使って実験しているのを目にし,単なる試料の緩和時間測定には限界があることを見てとり,生体内のNMR信号の局在を知る方法を考えた.レストランでハンバーガーを食べながら傾斜磁場を利用する方法を思いつき,ペーパーナプキンにメモしたが,Priorityを確実とするため9月2日から7日まで,6日間かけてアイデアをまとめて日付入りの署名ノートに記録した.当時,SUNYのNMR装置は化学科の共有で,専ら磁場均一性が必要とされる試料の測定に使われていたことから,磁場の不均一を作り出すLauterburの実験は行なうことができず,夜間に実験しては翌日のために装置の設定をもとに戻すことを繰り返したという.1973年,ガラス毛細管を撮影した論文をNatureに投稿し,初回はリジェクトされたが意義を説明してようやく受領された.わずか2頁であるが,MRIの基本原理となる画期的な論文であった.Lauterburは特許をとろうとしたが,SUNYは費用に見合うだけの利益が期待できないと判断し,結局申請できなかった.Lauterburはその後も,NMRの基礎技術,画像化に関して多くの研究を行なった.1985年にはイリノイ大学に異動したがここでは研究環境に恵まれなかったという.2003年,イギリスの Peter Mansfield とともにノーベル生理学医学賞を受賞,2007年に腎疾患のため病没[1-3].

出典