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リーダー  Hermann Rieder

経歴と業績

リーダー(Hermann Rieder, 1858-1932)[3]

1858年,ドイツのババリア地方で薬剤師の父のもとに生まれた.父の仕事を継ぐはずであったが医学に転向した.1884年,ミュンヘン大学を卒業,生理学,内科学,血液学などの研究を行なった(急性骨髄性白血病に出現するRieder's cellにその名前が残っている).1892年よりミュンヘン大学内科学助教授,1898年に物理療法担当の教授となった.同年,レントゲン装置が導入され,1900年にはX線部門と物理療法部門の責任者となった.

最初に取り組んだのは,炎症性疾患,皮膚疾患のの放射線治療のメカニズムで,疾患に応じた至適線量があることを指摘している.しかしその最大の功績は放射線診断におけるもので,特に1904~5年に発表した次硝酸ビスマス30gと粥などの食物400gを混ぜた造影剤(いわゆるRieder's meal)による消化管造影は,それまで実験,研究の域を出なかった消化管のX線検査を本格的な臨床応用に導く画期的なものであった[1,2].また当時ウィーン総合病院の Holzknecht を筆頭とするヨーロッパ学派がX線透視を重視した中にあって,RiederはX線撮影の重要性を主張し,短時間で撮影できるX線装置を開発して胸部の呼吸運動や胃の動きを映画のように連続的に撮影するBio-Röntgenographieを開発した[3].1913年に著わした "Lehrbuch der Röntgenkunde" 全3巻(1928年に第2版出版)は,ドイツ語圏の標準的な教科書として長く読みつがれた.Holzknecht,CannonらX線透視を積極的に利用した研究者はいずれも放射線誘発腫瘍で死去しているが,X線撮影を重視したRiederは放射線障害に侵されることなく,1932年,脳出血で死去した[4,5].

出典