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モニス Egas Moniz

経歴と業績

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モニス (Egas Moniz,1874-1955)[1]

1874年,ポルトガルのアヴァンカに,農場を営む両親の下に生まれた.17歳でコインブラ大学に入学し,初めは数学を専攻したが後に医学に転じた.本名はAntonio Caetano de Abreu Freireであるが,学生時代に政治的パンフレットを執筆した際,ペンネームとして12世紀にイスラーム支配と戦ったポルトガルの英雄Egas Monizの名前を使って以来,生涯これを名乗った.

卒業後は神経学を専攻し,フランスのパリでBabinski,Dejerine,Marie,Sicardら錚々たる大家の下に学んだ後,帰国して母校の神経学教授を経て,1911年には新設されたリスボン大学主任教授となり1945年の引退までこれをつとめた.モニスは学生時代より政治に強い関心をもち,ポルトガルの民主化を夢見て活躍,3度の投獄を経験し,外務大臣やスペイン大使をつとめ,第一次世界大戦後のベルサイユ条約締結会議ではポルトガル代表団を率いるなど,医学よりも政治的活動に多くの時間を割いた時期もある.しかし1919年,政争を機に政治の世界から身を引き,52歳にして医学に専念した.

そして最初に行なったのが,神経学,放射線医学の歴史に大きな足跡を残す脳血管造影法の開発で,論文発表は53歳の時である.さらにMonizは精神疾患,特に統合失調症の治療法としていわゆるロボトミー手術,すなわち前頭葉白質切離術(frontal lobotomy)を開発し1931年に発表した.これはその後倫理的批判を浴びることになったが,有効な薬物治療法がほとんどなかった当時は画期的な方法とされ,1949年にこの業績に対してノーベル生理学医学賞を受賞した.ちなみにそれ以前に,脳血管造影法の開発に対して3回にわたってノーベル賞候補に推薦されている.晩年は開業医として診療を続けると同時に,2冊の自伝をふくむ数々の文学作品を著した[2].

出典