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リスホルム  Erick Lysholm

経歴と業績

リスホルム(Erick Lysholm, 1891-1947)[3]

1891年,スウェーデンに生まれ,Uppsala大学医学部を卒業後,1921年からSerafimer病院の放射線科で診療,研究にあたった.初期にはラジウム照射精度の向上など放射線治療の研究に従事したが,その後はその生涯を主に神経領域の放射線診断学の研究に捧げた.その業績の大きな柱のひとつは "precision radiology"であった.当時の頭蓋撮影法は正側2方向をPotter-Buckyグリッドを使用して撮影するのが原則であった.しかし錐体骨など頭蓋底の複雑な構造の撮影には,それぞれ特殊な角度の撮影が必要と考えたLysholmは,X線管球が頭蓋を中心とする球面上を自由に移動し,2つの立体角を指定することにより正確に撮影方向を決定できる装置 "skull table" を開発し,1925年の論文にこれを著した[1].

また,このような撮影法では複雑な構造をもつPotter-Buckyグリッドは使用しにくいことから,非常に薄い鉛箔を平行にならべた軽量,小型の静止グリッドを開発した.この "Lysholmグリッド"は現在も広く使用されている.

1930年からは,アメリカのCushingの下で学んでSerafimer病院に戻りヨーロッパ脳外科のパイオニアとして活躍したBerbert Olivecronaと密接に協力して研究をすすめた.特にDandyが開発した脳室造影に precision radiologyを応用して多くの症例を重ね,1935~37年にその成果を3編のモノグラフに著し,脳室造影による頭蓋内病変の局在診断法を確立した[2].Serafimer病院の脳外科医はLysholmの診断に全面的な信頼を寄せ,脳室造影の穿刺を除き,神経放射線診断はすべて放射線科医が行なっていた.

Lysholmは創意工夫に溢れ,技術的な知識をあわせもつ優れた放射線科医であったが,そのアイデアの具体化にあたっては,Schönander社(その後Elema-Schönander社を経てSiemens-Elema社)の創立者であるきわめて優秀な技術者Georg Schönanderの熱心な協力があり,skull table,Lysholmグリッドはいずれも同社が製品化した.その後も同社の技術者Georg FredzellとSerafimer病院の神経放射線科医の密接な共同研究から,日本でも広く普及した断層撮影装置Orbix, Mimer,連続血管撮影用フィルムチェンジャーAOTなどが生まれている.

1945年には放射線科教授に就任,シネ撮影,核医学の研究も手がけていたが,腎硬化症のため55歳で早世した[3-5].

出典