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ペルテス  Georg Clemens Perthes flag

経歴と業績

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ペルテス (Georg Clemens  Perthes (1869-1927) [1]

幼くして両親と死別,ボンに住むおばに育てられたが,そこで偶然外科医のトレンデレンブルク(Friedrich Trendelenbur, 1844-1922)に出会い,その影響で医師の道を選んだ.フライブルク大学を卒業,1892年にボン大学で学位を得て,外科医としてトレンデレンブルクの助手になり,1895年にともにライプツィヒ大学に異動した.翌年X線発見の報が伝わると,早くから関心を持ってX線診断,治療の研究を開始した.先天性股関節脱臼の特徴的所見,いわゆるTrendelenburg徴候の解明には,Perthesが撮影したX線写真が貢献したという.1900~1年,中国(清)で勃発した太平天国の乱には軍医として赴き,チンタオで中国人纏足女性のX線撮影を行った.[1,2].

Perthesの放射線医学に最大の功績は,初期における放射線治療の理論的考察である.主に1900年代前半に,放射線が細胞に及ぼす影響,皮膚癌の治療法,深部照射理論などの論文を次々と著し,放射線治療学の基礎を築いた[3-5].深部照射のためにフィルターを初めて導入したのもPerthesである.

冠名疾患として良く知られるPerthes病は,1910年にarthritis deformans juvenilis (若年性変形性関節炎)として報告されたものである[6]*.1910年チュービンゲン大学の外科教授となり,その後は主に外科医として多くの業績を残している.第一次世界大戦に従軍した経験から,拇指欠損に対する示指移植術,扁平骨に対する骨切り術,末梢神経損傷の治療なども手がけている.1927年,脳出血で死去.

同年,アメリカのArther Thornton Legg,フランスのJacques Calvé も同じ病態を報告しており,Legg-Calvé-Perthes病とも呼ばれる.

出典