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X線以前

ドイツでレントゲンがX線を発見したのは1895年,19世紀末のことであるが,19世紀のドイツでは物理学,特に電磁気学の研究がめざましく進歩し,X線の発見もこれを素地とするものであった.以下,このような背景を概観する

静電気

図1. von Buericke の実験.硫黄の球体を手で擦ると,琥珀と同じように静電気が起こってものを引きつけることを発見した[1]

図2. Hauksbeeの静電摩擦発電機[PD].

ギリシア時代,既に琥珀を摩擦すると羽根などが吸引されたり,あるいは反発する現象,すなわち静電気の存在が知られていた.また,自然界に存在する磁鉄鉱など天然磁石(lodestone)の吸引力も知られ,方位磁石としての性質は中国では11世紀から,西洋でも15世紀の大航海時代には活用されていた.しかしこれらの現象を科学の光を当てたのは,16世紀,イギリスの医師,物理学者で,エリザベス1世の侍医でもあったWilliam Gilbert(ギルバート,1544-1603)とされる.Gilbertは,地球が巨大な磁石であることをその著書De Magnete, Magneticisque Corporibus, et de Magno Magnete Tellure(磁石,磁性体,および大磁石地球)で明らかにした.また硫黄の球体を作り,これを手で擦ると琥珀と同じようにものを引きつけることを発見した.ギリシア語で琥珀を意味する elektron に由来する electric という言葉を静電気を表す意味で使用したのはGilbertとされる.

1663年,ドイツの工学者でマグデブルク市長もつとめた Otto von Guericke(ゲーリケ,1602-86)は,真空ポンプを発明し,有名な「マグデブルクの半球」 で大気圧の存在を証明したことで知られるが,硫黄の球を手で摩擦して静電気の研究も行なった(図1).

1678年,フランスの天文学者Jean Picard(ピカール)は,暗やみで水銀気圧計を動かすとす淡く発光することを発見した.20年後,物理学者のJakob Bernoulli(ベルヌーイ,1654-1705)もこれを観察して,水銀蛍光(mercury phosphorescence)と称した.さらに1706年,ニュートンの実験助手であったイギリスの物理学者のFrancis Hauksbee(ホークスビー,1660-1713)は,ガラス球を摩擦する起電機を作り,内部を低圧にして水銀を入れて摩擦すると発光することを発見した(後の水銀灯の原理といえる)[図2].

1745年,ドイツの化学者Ewald von Kleist(クライスト)が,ライデン瓶を発明した(その後オランダのライデン(Leyden)大学で独立に開発されたためこの名がある).これはガラス瓶の外面,内面に鉛などの金属を塗布したもので,現在でいうコンデンサーの原型であるが,これによって静電発電機で発電した電気を蓄電できるようになった.

図3. Wimshurstの静電誘導式発電機(influence machine).X線装置の電源としても一時用いられた[PD].

その後も様々な静電発電機が生まれ,それまでは主に球体を摩擦する方式であったが,次第に円筒や円板を回転させるものが主体となった.ちなみに日本の江戸時代,1770年に平賀源内が入手した「エレキテル」は,ガラス板を皮革で摩擦する静電発電機とライデン瓶を組合わせたものであった.

18世紀末になると,単に物体を摩擦する摩擦起電方式ではなく,静電誘導を利用して電荷を増幅する静電誘導方式の発電機(influence machine)が開発された.その原型は,金箔検電器の発明者としても知られるイギリスの物理学者Abraham Bennet(ベネット)が1787年に発明した電気倍増装置("doubler of electricity")であるが,その後様々なものが作られ,特に1865年にイギリスの発明家James Wimshurst(ウィムズハースト, 1832-1903)が発明した装置は,この種の装置としては最も進んだもので効率が良く,その後X線装置の電源にも使用された[図3].

動物電気

図4. Luigi Galvaniの実験.カエルの標本に電極を当てると下肢が収縮することから,生体内で電気が発生する(動物電気)と考えたが,Voltaは金属間の電位差による受動的な電気であると反論した.[PD].

図5. Faradayによる電磁誘導の実験.金属片を動かすと電線ABに電流が発生する[3]

図6. Ruhmkorff誘導コイル.レントゲンも実験に使用し,その後X線装置の電源として広く用いられた.[2]

18世紀まで,「電気」はすべて物体の摩擦によって発生する静電気であったが,1791年,イタリアの医師Luigi Galvani(ガルバーニ,1737-98)は,解剖で摘出したカエルの脚に金属メスが接触すると収縮することに気づき,これを生体内に電気が発生しているとためと考え動物電気(animal electricity)と称した(図4).

これに対して,同じイタリアの物理学者Alessandro Volta(ボルタ,1745-1827)は,異なる種類の金属が筋肉に接触することで受動的に電気が流れて収縮するとして反論し,1800年,銅と亜鉛の円板を交互に重ねたいわゆるボルタ電池を発明してこれを証明した.

電磁誘導

1820年, デンマークの物理学者Hans Christian Oersted(エルステッド,1777-1851)は,導体に電流を流すと磁針が振れることを発見し,また電線のまわりに円形の磁場が存在することも見いだした.電磁気学の最も基本的な現象を発見したわけであるが,これを定式化したのはフランスの物理学者André-Marie Ampère(アンペール,1775-1836)であった.1831年,イギリスの物理学者Michael Faraday(ファラデー,1791-1867)は,エルステッドとアンペールの実験をさらに進めてこれを電磁誘導の法則としてまとめ上げた(図5).ファラデーはこの他にも広い分野に多くの業績を残しているが,電気力線,磁力線の概念を提唱し,また化学物質の溶液の電流を研究して,電解質(electrolyte),イオン(ion),陽極(anode),陰極(cathode)といった用語を初めて使ったのもファラデーである.

1857年,ドイツの技術者Heinrich Ruhmkorff(リュムコルフ,1803-77)が,電磁誘導を利用した誘導コイル,いわゆるリュムコルフ誘導コイルを製作し,静電誘導によらず蓄電池,断続器と併用して容易に高電圧が得られるようになった[図6].1895年,X線を発見したレントゲンもリュムコルフ誘導コイルを電源としていたが,その後しばらくの間,X線管球の電源として静電誘導発電機も使用され,その優劣が論じられた時期もあった.しかしまもなくさまざまな断続器が発明され,誘導コイルが主に使われるようになった.

陰極線

1654年に前述のGuerickeが真空ポンプを発明して以来,低圧ガラス管の両端に電位差を与えた場合の電気現象の研究が行なわれたが,1838年,ファラデーは低圧ガラス管内の発光現象に気付いた.1857年,ドイツの物理学者 Heinrich Geissler(ガイスラー,1814-79)が,さらに低圧のガイスラー管をつくりグロー放電を観察した.ドイツの物理学者 Wilhem Hittorf(ヒットルフ,1824-1914) ,イギリスの William Crookes(クルックス,1832-1919)らは,ガイスラー管の真空度をさらに高め,それぞれ独自のヒットルフ管,クルックス管を作って実験を行なったが,グロー放電とは異なる陽極側のガラス面の発光現象を観察し,1876年,ドイツの物理学者Eugen Goldstein(ゴルトシュタイン,1850-1930)はこれを陰極線と命名した[4].1895年,レントゲンはこの陰極線の性質を調べる実験中に,その副産物としてX線を発見した.

関連事項

陰極線管 

図7. 陰極線管.左端が陰極.通電すると(下),陽極側のガラス面が緑色に発光する[PD].

低圧にしたガラス管の両端設けた電極間に電位差を与えると,ガラス管内に発光する現象に最初に気付いたのはファラデーであった.陰極線管の前身ともいえるガイスラー管は,物理学者でありまた自ら優れたガラス職人であったドイツのガイスラー(Heinrich Geissler, 1814-79)が1857年に作ったもので,ガラス管内に低圧の稀ガスを封入し,管の両端の電極に高電圧を加えると管内のガスが全体に発光した.これはグロー放電と言われる状態で,陰極から放出される電子がガスの分子と衝突して電離することによりガスの種類に応じてさまざまな色に発光し,現在のネオン管,蛍光灯と基本的に同じである.

ファラデーはガラス管内のガスの状態を,気体,液体,固体につぐ第4の状態 "radiant matter"(放射体) と呼んだ.その後真空技術が進み,真空度が上がると,陰極側に発光しない暗帯が出現した.これも最初にファラデーが観察し,ファラデー暗部(Faraday dark space)と呼ばれるが,さらに真空度が上昇すると暗部が延長,陽極側に達してガスそのものはもはや発光しないが,陽極側のガラス壁が光る状態となる.これは,ガス分子が少ないために電子がガス分子を電離させることなくガラス面に達して蛍光を発生させている状態であるが,陰極から出る目に見えない光線が,ガラス壁に衝突して蛍光を発生させていると考えられ,1876年にEugen Goldstein(ゴルトシュタイン,1850-1930)が陰極線(Kathodenstorahlen)と呼んだ[4].しかしその本態は不明で,Crookesら主に英国の研究者は,これを陰極から放出される何らかの粒子ととらえ,ドイツの研究者はエーテルの変化であると考えた.これが実際には負に帯電した粒子,すなわち電子の流れであることが明らかになるのは,1897年,Joseph John Thomson(トムソン,1856-1940)の研究を待つ必要があった.

このようなガラス管は陰極線管といわれ,ぞれぞれ発明者の名前を冠したヒットルフ管,クルックス管,レーナルト管などがあった.1895年,レントゲンがX線を発見したのは,この陰極線管を使用した実験中のことであった.

電磁気の治療応用

図8. 電気生理学の祖Guillaume Duchenneによる局所電気刺激[PD] .

図9. Gerge M. Beardによる電気治療 Central galvanization. 心窩部に固定電極を置き,もう一方の電極を頭部から背部へスライドさせながら刺激する. 精神疾患に効能があるとされた[6].

図10. d'arsonvalによる高周波の温熱効果を利用した治療.[7].

電気の治療への応用,電気療法(electrotherapy)の祖といわれるのは,ドイツの科学者Christian Gottlieb Kratzenstein(クラッツェンシュタイン, 1723-95)である.物理学,天文学,気象学,航海術など広い分野に業績があるが,中でも電気と生体の関連に強い関心をもち,1744年に「医科学における電気の応用理論」(Abhandlung von dem Nutzen der Electricität in der Arzneiwissenschaft)を著し,電気が生体機能に及ぼす影響を研究し,ある種の神経疾患に治療効果があるとして,若い女性の指の拘縮を治療できたとも述べている(図8).フランスの医師,Jean-Paul Marat*(マラー, 1743-93)も,1783年の著書Memoires sur l'Electricité   Médicaleで電気治療法を論じているが[5],これらはむしろ例外的で,電気治療を売り物にするいかがわしい商売も横行したことから,正統派医師は電気治療を軽蔑する傾向が強かった.1791年には,前述のようにGalvaniが「動物電気」を提唱したが,これも屍体蘇生の試みといった一般の関心をひくものではあっても,医学に直結するものではなかった.

* マラーはその後フランス革命に身を投じ,急進派ジャコバン党の指導者のひとりであったが,1793年,穏健派ジロンド党を支持する女性 Carlotte Corday(コルデー)により入浴中に暗殺された.画家ジャック=ルイ・ダヴィッドの油彩「マラーの死」はこれを題材としている.

しかし19世紀になると,生理学,病理学など近代医学の発達を背景として,それまでの体液理論を脱して,新しい診断,治療への関心が芽生え,次第に新しい理論に基づく電気治療が試みられるようになった.神経学の創始者として知られるフランスの内科医Guillaume Duchenne (ドゥシャンヌ, 1806-75)は,皮表から神経や筋肉を刺激する方法を開発し,1855年の著書「局所電気刺激とその病理学,治療学への応用」( De l'électrisation localisée et de son application a la pathologie et a la thérapeutique)は電気生理学の古典とされる.アメリカでも,神経衰弱(neurasthenia)の提唱者,Gerge M. Beard(ビアド,1839-83)が1871年に著した「内科および外科における電気の応用論」(A Practical Treatise on the Medical and Surgcal Uses of Electricity)は10版を重ねる名著となった(図9).

様々な装置が開発され,誘導起電機,電池,ライデン瓶,誘導コイル,手動あるいは電動ダイナモなどを電源とし,電極にはスポンジ,皮革パッド,水浴などが使われた.具体的な方法としては,静電気でショックを与えるFranklinization,直流を断続的に加えて神経や筋を刺激するGalvanization,交流を使用するFaradizationなどがあった.例えば,central galvanizationといわれる方法では,心窩部に固定電極を当て,もう一つの電極を頭頂部から脊椎下縁まで移動させることにより脳脊髄に刺激が加わるとした.このほかフランスの医師Jacques-Arsene d'Arsonval(ダルソンヴァール, 1851-40)は,数万~100万Hzの高周波による温熱効果を利用し(D'arsonvalization)(図10),これはその後のジアテルミー治療(diathermy)に発展した.神経衰弱,ヒステリーなどの中枢神経疾患,四肢麻痺,筋萎縮などの末梢神経疾患が良い適応とされたが,このほか関節炎,婦人科疾患などさまざまな病変に試みられた[6].

これらの治療効果は必ずしも確実なものではなかったが,19世紀後半には,伝統医学も電気治療を受容しはじめ,医学部の講義に取り入れられ,教科書にも多くの頁が割かれるようになった.レントゲンのX線発見は,このような物理学,電磁気学の医学応用が手探りされている時代を背景とするできごとであった.

出典