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放射性物質の医学応用

放射性物質の診断応用

放射性物質の医学応用,すなわり核医学は,まずラジウム療法に始まり,診断への応用はやや遅れて,1910年代に始まった.この分野については,「核医学の父」と称される研究者が2人知られている.その一人,ハンガリー(ドイツ)の化学者 Georg Charles de Hevesy(ヘヴェシー, 1885-1966)は,1913年に放射性物質を"radioindicator" (放射性指示薬,トレーサー)として微量物質の検出,定量に利用する方法を開発して様々な研究を行なっていたが,1923年,これをさらに発展させてトリウム系列の放射性同位元素 212Pbを用いてソラマメによる鉛の吸収,代謝を分析した[→原著論文].対象は植物だが,放射性同位元素を生物学的トレーサーとして初めて利用した点が画期的であった.この方法を生物学一般,さらに医学に応用するためには,炭素,窒素など生体の主要構成元素の同位体が必要であり,そのためには人工放射性同位体の登場を待つ必要があったが,1934年にJoliot Curieらが生成に成功,さらにサイクロトロンや原子炉によるの供給が可能になると,Hevesyは32P, 24Na, 24Kなどを駆使して動物の代謝の研究を進展させた.

もう1人の「核医学の父」は,放射性同位元素を初めて臨床応用に供したアメリカのHermann Ludwig Blumgart(ブラムガート, 1895-1977)で,1927年に214Biをヒトに静注して血液循環時間を測定した[→原著論文].Hevesyの方法は,放射性同位元素の化学的トレーサーとしての利用であるのに対して,Brumgartは物理的トレーサーとしての利用といえる.

原著論文

《1923-放射性同位元素のトレーサーとしての利用》
植物による鉛の吸収と移動 - 植物内の物質変化の研究における放射性指示薬の応用への寄与
The absorption and translocation of lead by plants - A contribution to the application of the method of radioactive indicators in the investigation of the change of substance in plants
Hevesy G. Biochem J. 17:439-445,1923

【主旨】
ソラマメを硝酸鉛212Pb(NO3)2を入れた培養液中で24時間育て,根,茎,葉など各部位を焼却してその灰の放射能を検電器で測定することにより,鉛の分布を調べた.この結果,鉛は根に最も多く分布すること,組織中の鉛濃度は培養液中の鉛濃度と比例しないこと,組織中の鉛は後から吸収される鉛によって置換されることが明らかとなった.

【解説】
植物による実験であるが,放射性同位元素をトレーサとして使用したという点で,核医学の歴史上非常に大きな意味をもつ論文である.生物学的,医学的な意義は,元素が濃度に応じて受動的に吸収されているのではなく,必要に応じて能動的,選択的に吸収されること(selective uptake),組織中の元素が持続的に外部から供給される元素で置換されること(metabolic turnover)を明らかにしたことにある.

原文 和訳


《1927-初の臨床応用》
血流速度の研究 I.測定方法
Studies on the velocity of blood flow. I. The method utilized
Blumgart HL, Yens OC. J Clin Invest 4:1-13,1927
nm2-blumgart

図1. 上肢(V)に放射性物質を静注し,鉛遮蔽板(B)に通した左上肢でかかえた霧箱(A)を目視観察して循環時間を測定する.

【主旨】
血流速度(循環時間)の新しい測定法を開発した.血流速度の測定に使う物質には,(1)無害である,(2)体内に存在しない物質である,(3)対象を撹乱しない,(4)速やかに消失する,(5)少量でも検出できることが求められるが,放射性物質はこの条件をすべて満たすものである.214Bi(ラジウムC)を肘静脈に静注し,腋窩に置いた電離箱を目視観測して対側上肢への到達時間を測定した.15例における正常循環時間は15~21秒で,心不全があると著しく延長する.同一症例の検査では再現性があり,副作用も認めなかった.

【解説】
核医学的手法の初の臨床応用である.Blumgartは,この年に血液循環時間の測定に関する8篇の論文を立て続けて発表し,その後1931年までに計15篇を発表している.本稿はその第1報で,計測法確立のための予備実験であるが,十数例の臨床例の測定値も記載されている.使用核種214Biの半減期は約20分で,主にβ線を放出する.測定装置はいろいろ試した結果,霧箱*が最適としている.被検者が脇の下に抱えた霧箱をのぞき込み,飛跡が出現する時間をストップウォッチで計測するという原始的な方法であるが(図1),ここに示された正常循環時間は稀釈法によって得られる現在の値と良く一致している.

* 霧箱(cloud chamber):イギリスの物理学者Charles Wilson (1869-1959)が1897年に発明.過冷却により凝結して霧状になった気体内に荷電粒子を入射すると,気体分子がイオン化し,そのイオンが凝結核となることによって飛跡を観察できる.Wilsonはもともと気象学者で,雲を発生させる研究の中でこの現象を発見したという.その後の原子物理学研究に重要な手段の一つとなり,1927年,Wilsonはこの功績に対してノーベル物理学賞を受賞した.

原文 和訳

関連事項

人工放射性同位体

1903年,RutherfordとSoddyは,元素が放射線を放出して別の元素に変化するという原子核壊変の概念を確立し,元素は不変とする従来の概念を打ち破り,1913年,Soddyは放射性同位元素の存在を確認した.そして1919年,Rutherfordは14Nにα線を照射して17Oを作り[14N(α,p)17O],新たな核種を人工的に作れること,すなわち原子核変換(原子核反応)に初めて成功したが,まだ放射性同位元素を作るには至らなかった.当時知られていた放射性同位体は,U,Th,Ra,Poとその崩壊系列にある天然元素に限られていた.しかし1932年,Irene & Joliot Curieは,27Alにα線を照射することにより放射性同位元素30Pを作ることに成功した.これを契機として,その後の1年で約100の人工放射性核種が作られることになった.

Curieが作った30Pは半減期が3.2分と短く,生物学的な応用には不適であったが,1934年にイタリアのFermiはRa-Be中性子源を用いて半減期14.3日の32Pを合成した.Hevesyはただちにこれを使ってリン酸ナトリウムをラベルし,ラットに投与してその大部分が骨組織と筋組織に分布することを示した[1].さらに1936年,Joseph Hamiltonは24NaClによる慢性白血病の治療を試みた.治療効果は得られなかったものの,これは人工放射性物質の初の臨床応用といえる[2].1939年以降,カリフォルニア大学のJohn H. Lawrenceは,サイクロトロンの生みの親である兄の物理学者Ernest Lawrenceから提供された32Pによる治療を白血病,真性多血症100例以上に行なって良い成績をおさめた[3,4]

人工放射性物質の製造方法としては,初期はPo,Raのようなα線源が用いられていたが,1936年にErnest Lawrenceがサイクロトロンを開発し,多種多量の放射性同位体を得ることができるようになった.さらに1942年にEnrico Fermiが原子炉を作り,大量の放射性同位体が得られるようになった.しかし,これらの研究は原爆開発をめざすマンハッタン計画の一環であったため,広く医用応用が可能となったのは終戦後のことであった(日本では1950年にアメリカからの輸入が始まり,1962年に東海村の原子炉から供給が可能となった).

 

出典