人物篇 > 放射線障害・防護 > シーベルト

前項目  目次  次項目

シーベルト  Rolf Maximilian Sievert

経歴と業績

シーベルト(Rolf Maximilian Sievert, 1896-1966)[4]

1896年,スウェーデンのストックホルムに生まれた.父のMax Sievertは東ドイツ出身であったが,スウェーデンで電気機械部品会社を興し,特に電線の製造販売事業に成功して巨万の富を築いた.1913年にこの遺産を相続したRolf Sievertは,甲子園球場の260倍の面積という広大な敷地に屋敷を構え,生涯にわたって何不自由なく研究に専念することができた.その後この屋敷には,親類をふくめて多いときは10家族もが暮らし,さまざまな会議,委員会がここで開かれたという.

1914年にストックホルム大学を卒業,1919年にウプスラ大学で修士号を取得.1920年に物理学研究の状況視察のために訪米した際,同じスウェーデン出身で医学放射線の研究を行なっていたGrösta Forssellに出会ったことを契機として,帰国後はラジウム研究所で医用放射線計測,放射線防護の研究を精力的に行なった.1924年に所長に就任,私財を投じて研究施設を整えた.1926年にはSievert chamberと呼ばれる小型の空洞型電離箱方式の計測器を開発して,医療現場をはじめとする放射線環境の計測,防護に大きく貢献した.1928年,ストックホルムで開催された第2回ICRでは,放射線量単位レントゲンの採用,放射線取扱い者の防護指針の策定に中心的な役割を果たした.1932年に博士号を取得,同年ストックホルム大学助教授,1937年カロリンスカ研究所放射線物理学所長,1941年からカロリンスカ大学教授をつとめた.この間,一貫して放射線の生体への影響,放射線防護の研究で世界をリードした.1950年代には,計測器をバスや飛行機に積んで,国内の自然放射線を計測し,1958~62年にはICRP委員長をつとめた.死の13年後の1979年,ICRPはその放射線防護に対する功績を記念して,線量当量の単位に従来の remにかわってSievert (Sv) を採用した[1-3].

出典