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キーンベック  Robert Kienböck

経歴と業績

キーンベック(Robert Kienböck, 1871-1953)[6]

1871年,オーストリア=ハンガリー帝国のウィーンに生まれた.父は弁護士であったが医学を志し,レントゲンがX線を発見した1895年にウィーン大学医学部を卒業した.翌年パリ,ロンドンに学ぶうちにX線を知って興味をもった.帰国後,ウィーン総合病院で放射線の研究を始め,1899年には自ら放射線科クリニックも開業した.最初の論文は股関節脱臼のX線所見に関するもので,生涯を通じて骨X線診断学における業績が広く知られているが,初期には放射線治療に関する研究も多い.特に放射線治療に伴う皮膚潰瘍が,X線によるものか,X線管の電界効果によるのか激しく議論されていた当時,Kienböckは1900年の論文で慎重な対照実験によってこれがX線自体の効果であることを証明した[1].また放射線治療の効果を客観的に評価するためには客観的な線量指標が必要であると考え,1903年に臭化銀の感光紙を利用した独自の線量計Quantimeterを発明し広く用いられた[2].

1910年,現在Kienböck病として広く知られる月状骨軟化症(lunatomalacia)を報告したが[3],その後まもなく落馬事故により頭蓋底を骨折し,これに伴う聴力障害,性格変化はその後生涯続くことになった.それまで外向的なスポーツマンであったが,以後はややもすればうつ傾向の内向的な性格になり,またこの頃から放射線診断学,特に骨疾患のX線診断に関心が移行していった.骨感染症,リウマチ疾患など多くの論文があるが,中でも当時同一疾患と思われていたPaget病とvon Recklinghausen病の骨病変を明確に区別した功績があり,これらを含め250篇以上の論文を著している.1933年には骨関節疾患の教科書執筆を開始した[4].しかし1938年,ドイツがオーストリアに侵攻,ウィーン総合病院はスタッフの大半を占めるユダヤ系医師を失い機能が崩壊した.研究,診療に大きな制約を受けながらもKienböckは教科書の執筆を続けたが,1942年,第8巻の出版後,2度の脳卒中発作に見舞われ執筆は中断された.この時代のパイオニア放射線科医としては珍しく放射線障害に見舞われることなく,83歳の天寿を全うした[5,6].

出典