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クック  William Alfred Cookflag

経歴と業績

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クック (William Alfred Cook, 1931-2011) [2]

1931年,アメリカのイリノイ州に生まれた.高校時代は,フットボール,バスケットボール,陸上の選手,合唱団のメンバーで,ピアノコンクールにも出場した.Northwestern大学で生物学を専攻,1953年に卒業した.医学部を目指していたが徴兵され,2年間の兵役を務めた.この間,麻酔の助手や医療器具取扱い業務などを経験し,新しい医療器具のアイデアを温めた.シカゴでいろいろなアイデア商品を売り,女性のヌード写真を底に貼り付けたショットグラスは一時良く売れたが,写真が剥がれてしまって長続きしなかった.友人と始めた皮下注射針を製造するMPL社は成功したが,1963年に心機一転,インディアナ州Bloomingtonに転居した.いとこの放射線科医からSeldinger法による血管造影について聞き,関連器具の製造をすすめられたことから,借金した1,500ドルを元手にバーナーやテフロンチューブを買い入れ,妻とともにアパートの一室でカテーテルやガイドワイヤを製造販売するCook社を創業した[1-3].

同年11月,シカゴの北米放射線学会(RSNA)の展示ブースで製品をデモしている時に,彼の製品に興味を持ったオレゴン大学放射線科教授の ドッター(Charles Dotter) の知己を得て,以後両者は生涯を通じて密接な関係を築くことになった.Dotterの求めに応じてCookが作ったカテーテルを使ってDotterは世界初の血管形成術に成功し,その後のIVRの基礎を築いた.Seldinger法の必需品,穿刺針,ガイドワイヤ,カテーテルを初めて揃えて製造販売したのもCook社であった.Cookは一貫して臨床医の意見に耳を傾け,その要望をただちに製品に反映して新しい器材を次々に開発した.会社は世界各地に拠点を持つ大企業 Cook Group へと成長し,放射線科のみならず,外科,泌尿器科,婦人科など幅広い領域のカテーテル,ステント,コイル,穿刺針など画像下治療(IVR)関連器材のトップメーカーとして現在に至っている[1-3].

1999年には,国際IVR学会(Society of Interventional Radiology)のGold Medalを受賞したが,医師でない受賞者は初めてあった*

Cookはインディアナ州の長者番付1位,全米でも101位(2010年Forbes誌)の富豪となったが,私生活は質素で,創業時のアパートに住み続け,Cook社の本社は現在もBloomingtonにある.インディアナ州の歴史的建物の保存運動への資金援助,マーチングバンド Star of Indiana** を組織したことでも知られる[4].

*2005年,Boston Scientificの創業者Jone Abeleが医師でない受賞者の2人目となった.

** Star of Indiana は国際大会(drum corps international)に連続出場し,1991年には創立わずか7年にして世界チャンピオンに輝いたが,大企業の支援による運営は批判も浴びた.1999年からは「Blast !」としてステージショーの形で活動し,数々の賞を受賞した[4].

出典