人物篇 > 核医学 >アンガー

前項目  目次  次項目

アンガー   Hal Oscar Angerflag

経歴と業績

portrait-anger

アンガー(Hal Oscar Anger, 1920-2005)[1]

1920年,アメリカのコロラド州デンバーに生まれ,1943年,カリフォルニア大学バークレー校(UCB)工学部を卒業,在学中よりレーダーの研究を行ない,終戦後までハーバード大学でその研究を続けた.1946年,UCBのLawrence Radiation Laboratoryの研究者となり,1982年の引退までここで核医学画像技術の研究開発を行なった.

当初はサイクロトロンによる脳腫瘍照射の研究に携ったが,1951年よりイメージングの研究を開始した.当時ちょうどCassenによる シンチスキャナ が発表されたが,その機械的な駆動方式に限界を見たAngerは,ピンホール型ガンマ線カメラの開発を進め,翌1952年にそのプロトタイプを試作した.まだ撮影に1時間以上を要するものであったが,シンチスキャナと異なり1回の撮影で視野全体を撮影できるものであった.これをさらに改良し,1958年には複数の光電子増倍管の出力から線源の位置を決定してオシロスコープに表示する「ガンマカメラ」を完成したが,その基本構造は現在のガンマカメラ,SPECT装置の基本ともなるものであった.

Angerはこの他にも,多くの業績を残しているが,その中にはその後の核医学を今なお根底から支えているものが少なくない.例えば1950年にはウェルカウンターを,1959年には陽電子の同時計測によるポジトロンカメラを開発している.Angerなくして現在の核医学は存在しなかったと言われるのも首肯しうるところである.Angerはきわめて温厚な性格で,周囲の信頼と尊敬を集める人物であったという点で,多くの同僚,後輩の声は一致している[2,3].

出典