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グレイ  Louis Harold Gray

経歴と業績

グレイ(Louis Harold Gray, 1905-1965) [3]

1905年,ロンドンの労働者階級の家庭にひとり息子として生れた.子供の頃から数学,科学に優れた才能を示し,ケンブリッジ大学を卒業後,1929年に同大の名門Cavendish研究所の研究員となった.初期には宇宙線のγ線の研究を行なっていたが,放射線の医学応用に興味を持ち,1934年にMount Vernon病院の医用物理学者となった.この時期の特に重要な業績として,吸収線量の測定がある.電離法による吸収線量の測定は固体では不可能であったが,Grayは固体中に空洞を設けることで理論的に計算できることを示した.1936年に発表されたこの方法は[1],いわゆるBragg-Grayの公式と言われるもので,照射線量から吸収線量を求める基本的な理論となった.

1936年からはJohn Readとともに中性子発生装置を建設し,中性子の生体への影響を研究を精力的に行なった.1940年に発表した論文では[2],中性子をふくむすべての放射線の吸収線量に適用できる計測法を示した.ここでは特定の単位名を示していないが,「1RのX線照射によって単位体積の水に賦与されるのと等しいエネルギーを組織に賦与する中性子照射量」を定義しており,これはその後ICRUの吸収線量radの定義に連なるものであった.

1947年からは,Hammersmith病院の放射線治療部門で放射線生物学の研究チームを率い,サイクロトロンを建設すると同時に,放射線治療における酸素効果の研究取り組んだ.1953年からは再びMount Vernon病院で,酸素効果の研究を続けるととも,1953~1959年にはICRP,ICRUの委員として放射線防護策の策定に大きく貢献した.死の10年後,1975年,ICRU,ICRPは,その放射線生物学における多大な功績を記念して吸収線量の単位名にGrayの名前を冠することを決定した[3-5].

出典