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フォルスマン Werner Forssmannflag-germany

経歴と業績

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フォルスマン(Werner Forssmann, 1904-79) [3]

1904年,ベルリンに生まれ,1928年にFriedrich-Wilhelm大学(現Humboldt大学)医学部を卒業した.学生時代,出入りしていた生理学教室で動物の心臓にカテーテルを挿入して圧を測定する実験を目にしたForssmannは,その臨床診断への応用に関心を持っていた.内科を志したがポストの空きがなかったため,ブランデンブルク州Eberswalde のAuguste-Viktoria病院の外科レジデントとなった.翌1929年,Forssmannは指導医である外科部長Richard Schneiderに人体のカテーテル実験を相談したが,当時のドイツの厳然たるピラミッド型アカデミズムの枠組みの中で,1年目のレジデントの大それた行為が生む結果を的確に予想したSchneiderは,動物実験にとどめるよう命じた.しかしForssmannは自己人体実験を敢行し, 右心カテーテル挿入が安全であること を証明した.

論文が発表されると予想に違わず学界に大きな波紋を呼び,1か月前に決まっていた外科のポストも破談となった.Forssmannは理解ある上司Schneiderの庇護の下,さらにX線心腔造影の実験を続け,この間いくつかのアカデミックポストの誘いはあったものの,一連の経緯が災いしていずれも不首尾に終わった.1932年,Forssmannは研究者の道を諦め,外科・泌尿器の臨床医に転向した.同時にナチ党に加わり,1939年には軍医として第二次世界大戦に参戦,戦争捕虜として1945年の終戦を迎えた.当初はナチ党歴のために医療行為が許されなかったが,1948年になってようやく小さな地方病院の泌尿器科部長の職を得た.

1956年,Forssmannの発明をもとに心カテーテル技術を確立したアメリカ人研究者Cournand & Richardsとのノーベル賞共同受賞の突然の報に,「一介の神父がローマ教皇になった」ようだったと述べている.その後は数々の名誉称号を得たが,一介の臨床医として診療を続けた.Forssmannが自己人体実験を行なった病院は,東西ドイツ併合後Werner Forssmann病院と改称されている.泌尿器科医の妻との間に5男1女をもうけ,四男Wolf Georg Forssmannは薬理学者となり心房性ナトリウムペプチド(ANP)の発見者である.長女Renateは精神科医となった.[1,2]

出典