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ベクレル (Antoine Henri Becquerel)flag-france

経歴と業績

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ベクレル(Antoine Henri Becquerel, 1852-1908)[1]

1852年,物理学者の家系に生まれた3代目で,祖父Antoine César Becquerel (1788-1878)は科学系最高教育機関のEcole Polytecnique卒業後ナポレオン軍将校として活躍後,電気,光学,蛍光などの領域に業績を残し,父 Edmond Becquerelともに(1820-91)とともにパリ自然史博物館の教授をつとめた.父は光化学反応,太陽光スペクトルなどの領域で業績を残したが,特に蛍光・燐光に詳しく,Henri Becquerelが後に実験に使用したウラン化合物は父から受け継いだものであった[2].

École Polytechniqueを卒業後,1878年に自然史博物館の助手,その後父の跡を継ぎ,1895年にはÉcole Polytechnique教授となった.1896年1月,フランス科学アカデミーの週例会でレントゲンのX線発見を知り,以前から研究していた蛍光との関連に思い当たってこれを探究し,ウラン化合物からX線と同じく透過性をもつ未知の放射線が放出されていること,すなわち放射能を発見した.その後,ラジウム,ポロニウムを発見したキュリー夫妻とともに,1903年,自然放射能の発見の業績に対してノーベル物理学賞を受賞した.息子のJean Becquerelも物理学者となった[2,3].

出典