人物篇>X放射線医学のはじまり>レントゲン

前項目  目次  次項目

レントゲン Wilhelm Conrad Röntgen

経歴

Portrait-Roentgen

レントゲン(Wilhelm Conrad Röntgen, 1845-1923)[3]

1845年,ドイツ西部のライン地方のレンネップ(Lennep)に,繊維業を営む父とオランダ生れの母のもとに生まれ,裕福な家庭のひとり息子として育った.3歳の時,母の実家のあるオランダに移住し,17歳でユトレヒト工科学校(Technische Schule)に入学した.在学中,教師を揶揄する似顔絵を描いた友人をかばってその名前を明かさなかったという理由で放校になってしまう.卒業資格がないと大学に入学できないため,入学資格を得るための試験を個人的に受験するも失敗し,1865年に卒業資格がなくても受験できるスイス,チューリッヒの国立技術専門学校(Eidgenössische Polytechnische Schule, 現チューリッヒ工科大学)に入学,3年後に機械工学の学士号を得て卒業.在学中,物理学の講義を受けて感銘をうけたクント(August Kundt)教授のもとで博士号を取得.その後,新設のストラスブール大学(仏),ギーセン大学の教授を経て,1888年よりヴュルツブルク大学の主任教授となった.1895年,ここでX線を発見した後,1900年にミュンヘン大学教授となり,1901年に第1回ノーベル物理学賞を受賞.1920年に退官するまでここで研究,教育にあたった.1923年,大腸癌にて死去.

レントゲンは非常に控えめな性格で,人付き合いは苦手だったという.また人前での講演がきらいで,ノーベル賞受賞時もただひとり受賞講演をせずに早々に帰国してしまった.金銭的にも潔癖で,X線に関する特許申請を拒み,ノーベル賞の賞金は全額をヴュルツブルク大学に寄付している.ドイツ帝国から貴族に叙する申し出も謝絶している[1,2].

業績

最大の業績はもちろんX線の発見であるが,レントゲンはその生涯に58篇の論文を書いており,X線に関するものはそのうち3篇のみで,それ以外にも主に結晶物理学,電磁気学を中心に多岐にわたる領域で重要な業績を残している.中でもマックスウェルがその存在を理論的に予測した,磁束密度が変化する際に発生する変位電流の存在を実験的に証明した1888年の論文は,その後の電磁気学の発展に大きく貢献し,レントゲン自身はX線の発見よりも重要としている.この電流はその後レントゲン電流と呼ばれるようになった.また,1880年にベルが発見した光音響効果の応用に関する1881年の論文は,いま話題の光超音波検査の基礎となっている.

出典