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チェンバレン W. Edward Chamberlain flag

経歴と業績

チェンバレン(W. Edward Chamberlain, 1892-?)[1]

1892年,ミシガン州,Ann Arborに生まれた.父は外科医であったが早くからX線撮影を導入し,Chamberlainは子供時代に父のクリニックで心臓の動きを透視で見たという.California大学工学部,同医学部を卒業後,放射線医学を志した.第一次世界大戦中の海軍病院勤務の後,1930年にフィラデルフィアのTemple大学放射線科教授となりその後生涯この職にあった.初めは神経放射線学を専攻しミエログラフィーの研究などにも業績があるが,一貫して放射線医学による動態観察,放射線医学-生理学相関の研究に関心をもち,工学の豊富な知識と技術を駆使して,X線シネ撮影,X線透視,立体撮影,血管造影装置など数々の新しい装置を開発した.

多くの技術的な論文を著したが,1942年,RSNAのCarman記念講演での発表とその論文は,それまでのX線透視の問題点を整理し,X線透視の限界は装置そのものにあるのではなく,人間の網膜生理学に基づく視力に制約されるものであることを明らかにし,これを解決するためには外部エネルギーを導入して蛍光板の輝度を増幅する必要があること,それには当時黎明期にあった電子顕微鏡やテレビジョン撮影の技術が応用できることを提示した.これを契機として,メーカーによる医学応用に向けた光電子増倍管技術の開発が始動し,10年後,1952年に初のイメージインテンシファイアが市販された.この技術は,その後のX線診断,特に消化管造影,血管造影の発展に欠くべからざるものであった[1,2].


出典