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ケルズ  Charles Edmund Kells flag

経歴と業績

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ケルズ Charles Edmund Kells 1878–1928 [1]

New Orleansに,地元で有名な歯科医の父のもとに生まれた.1874年,父が教鞭をとるNew Orleans歯科大学を卒業,1876年にNew York歯科大学に学んだ.この頃,電気工学に興味をもち,エジソンの研究所をしばしば訪れていた.1878年,卒業後は1896年に父が死ぬまで父の歯科医院を手伝った.この間,1885年に初の女性歯科助手を雇用したことでも知られる.これは当時,女性が男性の付き添いなしで歯科医院を訪れることは不謹慎と考えられていたことから,女性も安心して歯科治療を受けられるようにという配慮であった.

1896年1月にX線発見の報に接すると,ただちにX線の歯科応用を試み,同年7月の学会でこれを報告した .世界で初めて歯のX線写真を撮影したのが誰かについては定説がないが,Kellsはその一人とされている.被検者は女性歯科助手で,約15分の撮影時間中,患者が唾液を飲み込めるようにフィルムホルダーを工夫して撮影した[1-3].

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ケルズの診察室[3]

歯科放射線学の父」と呼ばれるが,電気工学の知識豊富なKellsはその他の領域でも様々な業績を残している.自宅に電灯,電気防犯システムをいち早く導入し,1886年にエジソン電灯会社が営業をはじめると,診療所に電線をひきこんで,電気ドリルの電源をそれまでのバッテリーから商用電源に切り替えた.この他にさまざまな電動設備を備え,現在でも使われている口腔内吸引装置,電動椅子,空気コンプレッサー,口腔洗浄装置,照明器具などを自ら発明し,30件以上の特許を得ている.特に電動吸引装置(サクション)は,歯科のみならず一般外科にも広く応用され,それまでスポンジで吸うしかなかった術野の血液,体液の処理を画期的に容易とし,外科医からも讃辞を浴びた.

Kellsは,病巣感染説を強く批判したことでも知られる.病巣感染説は,体内の局所的な慢性感染巣が,リウマチなど全身疾患の原因となりうるとするもので,特に歯科領域の感染巣については1910年にイギリスのWilliam Hunterが oral sepsis という概念を提唱し,1912年にアメリカのFrank Billingsが 病巣感染(focal infection)という言葉を初めて提唱して急速に関心が高まった[4].この結果1910年代後半,これを信奉する内科医が患者を歯科に送り込んで大量の抜歯が行われた.歯科医の中にも,二等分法の提唱者として知られる Weston A. Price のようにこれを支持する者もあった.Kellsは,1919年の学会でこのような抜歯を「犯罪」として非難した[3].

放射線防護の概念が乏しかった当時,長時間,頻回にわたるX線撮影を繰り返した結果,1907年に左拇指の皮膚に放射線誘発癌が発生して手術を受けたが,その後も両上肢に病変が多発して生涯にわたって40回以上の手術をくり返した.1927年月,35回目の手術で左上肢は肩から切断された.Kellsはこれ以前に「片手で10年暮らすくらいなら,両手で1年生きたい」と述べている.この間常に強い疼痛に悩まされながらも精力的に臨床,研究を続けたが,1928年自分の医院で拳銃自殺を遂げた.死の直前,放射線障害による長年の病苦について次のように書き残している.「運命の過酷さに不平を言うだろうか? いや,そんなことはできない.X線検査により日々恩恵を受けている数千人もの悩める患者を思えば,不平など言えない.数百万人の利益のために少数者が犠牲となることは自然の理である」[1,2]

出典